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“途中解任された名将”マッドンの大先輩?ビリー・マーティンをめぐる愛と憎しみの“三角関係”【ダークサイドMLB】<SLUGGER>

出野哲也

2022.06.11

マーティンはメジャー通算1253勝を挙げた名将ながら、シーズン途中解任は2度、辞任も2度経験。ヤンキースの監督には5度就任して5度解任されている。(C)Getty Images

 現地6月7日、エンジェルスのジョー・マッドン監督が電撃解任された。名将と呼ばれる人物がシーズン半ばでクビになるのは異例のことだが、それでも初めてとは言えない。ここではMLBの"名将"途中解任の代表例であるヤンキースのビリー・マーティン監督と、彼をめぐるオーナーのジョージ・スタインブレナー、そして1970年代最大のスターであるレジー・ジャクソンの"三角関係"を見ていこう。

※スラッガー2021年11月号より転載(時系列は21年9月16日時点)

 8月18日、大谷翔平が40号本塁打を放ち、ロサンゼルス・エンジェルスの「左打者」で最多となった。それまでの記録保持者は1982年のレジー・ジャクソンだったが、彼をエンジェルスOBとして記憶している人は少数だろう。72~74年に3年連続世界一となったアスレティックス、そして77~78年に2年連続でワールドシリーズを制したヤンキースの主砲というイメージがあまりにも強いからだ。

 そのジャクソンが77年にFAで加わり、ヤンキースにはこれ以上ないほど濃厚なキャラクターが3人揃った。ジャクソン、監督のビリー・マーティン、オーナーのジョージ・スタインブレナー。人一倍エゴが強く、プライドも高い3人は、当然のように反目し合った。チームが好調であれば波風は立たないけれども、そうでなければたちまち暴風が吹き荒れた。

 中でも、マーティンとジャクソンがベンチで激しく口論を演じる場面が、全国中継のカメラで映し出された事件は、今も多くのファンの記憶に焼き付いている。
 
 78年7月17日、この日ヤンキースはロイヤルズと対戦していた。この時点で、チームは地区首位のレッドソックスから13ゲーム差の4位。ジャクソンは不振でスターティング・メンバーを外される日もあって、不満を抱えていた。「これだけ怪我人が多いとやってられない」と嘆くマーティンに、スタインブレナーは「監督がキャンプから準備していたらこうはならなかった」と苛々を募らせた。

 この日も、4回まで5対1とリードしながら、9回表に抑えの切り札グース・ゴセージが捕まり同点に追いつかれる。延長10回裏、先頭のサーマン・マンソンがヒットで出塁し、ジャクソンが打席に入った。ここまで3打数0安打の4番打者にマーティンは送りバントのサインを出したが、初球はボール。守備陣形を見てマーティンは強攻に切り替えたが、へそを曲げたジャクソンは2球目も、そして3球目もバントを試みた。

 三塁コーチのディック・ハウザーに「監督はスウィングしろと言ってるんだぞ」と諭されても馬耳東風のジャクソンは結局、キャッチャーフライに倒れる。この回ヤンキースは無得点に終わり、11回には続投したゴセージが打ち込まれて7対9で敗れた。

 反省するどころか「走者を進めようとしただけ。俺はレギュラーじゃないらしいからね」と嫌みたっぷりに述べたジャクソンに、マーティンは5日間の出場停止と9000ドルの罰金を命じた。スタインブレナーも「このチームのボスはビリーだ」とこれを支持した。
 
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