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プロ野球

最初の成功例は“マサカリ兆治”。そしてマウンドに感謝を捧げた桑田――トミー・ジョン手術で再起した不屈の名投手5選<SLUGGER>

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2022.06.17

桑田が復帰登板で見せた祈りのポーズ。一時は引退も覚悟しながら、マウンドに戻ってこれた喜びが表れている。写真:産経新聞社

桑田が復帰登板で見せた祈りのポーズ。一時は引退も覚悟しながら、マウンドに戻ってこれた喜びが表れている。写真:産経新聞社

 かつて、ヒジの靭帯断裂は投手にとって事実上の死刑宣告に等しかった。しかし、現在はトミー・ジョン手術(側副靱帯再建術)によって100%とまでは言えなくともかなりの確率でマウンドに復帰できるようになった。

 ダルビッシュ有(パドレス)や大谷翔平(エンジェルス)も含め、メジャーでは数多くの大物投手がトミー・ジョン手術を受けいるが、日本ではまだそこまで浸透していない印象もある。ここで改めて、ヒジにメスを入れて再起に成功した5人の投手を紹介しよう。

▼村田兆治(1983年に手術/ロッテ)

 腰をいったん低く落としてから投げる“マサカリ投法”から繰り出される剛速球と、落差30cm以上ともいわれるフォークを武器に、村田は75年から81年までの7年間で最多勝1回、最優秀防御率2回、奪三振王4回に輝き、球界を代表する大エースとして君臨した。だが、82年5月、絶頂期にあった彼の右ヒジは壊れた。
 
 さまざまな治療法を試したが治らず、絶望のあまり怪しげな民間療法に手を出したこともあったという村田。だが、最終的にトミー・ジョン手術の生みの親でもあるフランク・ジョーブ博士を頼って渡米。83年8月に手術を受け、ほぼ2年間をリハビリに費やした後、85年に本格的なカムバックを果たした。

 当時の先発投手は中4日~5日での登板が一般的だったが、ジョーブ博士から「登板は週1回」と言われたため、この年の村田は毎週日曜日の先発が定位置となった。開幕5戦目の4月14日に1073日ぶりの先発勝利を完投で挙げると、そこから開幕11戦11勝(プロ野球記録)の快進撃を見せて“サンデー兆治”の異名が付いた。結局、このシーズンは17勝を挙げ、89年には3度目の最優秀防御率を獲得。同年は通算200勝にも到達するなど、術後も6年にわたってプレーした。

 日本でトミー・ジョン手術を受けて成功したのは村田が第1号だった。そのあまりにも鮮烈な復活ぶりは、ほとんど認知されていなかった同手術を日本で広く知らしめるキッカケとなった。なお、手術のおかげか村田の豪腕は引退後も衰えることなく、マスターズリーグなどで140キロを超える速球をたびたび披露。2009年には59歳にして141キロを計測して話題となった。
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