イチローは、オリックスにいる頃からスーパースターだった。メジャーへ移籍した2001年には新人王&MVPを受賞し、04年には年間262安打のMLBシーズン新記録を打ち立てて、国民栄誉賞の授与も打診された。数多くのCMや広告にも出演していたから、野球を見ない人でも顔と名前は知っていただろう。
しかし、彼が本当の意味で「国民的英雄」となったのは、06年と09年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本に世界一へ導いてからではなかったか。それまでは、いくら活躍しても1歳年下で日本でもアメリカでも名門球団でプレーしていた松井秀喜に話題をさらわれがちだった。だが、松井が2大会続けてWBCを辞退する中、日本を優勝に導いたことで、イチローのカリスマ性は揺るぎないものとなった。
大谷翔平にも同じことが言えるかもしれない。日本ハム時代からスーパースターで、21年にはMLBでもMVPに輝いて今やメジャーリーグの顔として誰もが認めている。「好きなアスリートランキング」などでも上位には必ず名前があり、街を歩けば至るところに彼の顔を見かける。けれども、全日本チームの一員として国際大会で優勝した経験はまだない。今のままでも国民的な人気者ではあるが、来たる第5回WBCにおいて頂点を極めれば、そのキャリアはまさに「完璧」になる。
大谷は前回、17年の第4回大会にも出場が予定されていた。前年の16年に日本ハムを日本一に導き、パ・リーグMVPを受賞。11月には強化試合に参加して、東京ドームの天井の隙間に打球が吸い込まれる「飛距離160mの二塁打」を放って期待を高めた。しかしながらこの時期に痛めた右足首が、年が明けても完治することなく、WBC出場は見送りとなってしまった。 その際、大谷は「100%で行ける自信はない。それでは行くべきではないと納得して決めました」と語っていた。その思いがあったからこそ、今回のWBCには全力で臨むことを決意したのだろう。先日、アメリカでキャンプインした当日にも、報道陣の取材に応えて「いつか出てみたいと思っていた大会。前回はなかなかタイミングも合わず出られなかったことを考えると、すごい特別な気持ちではある」と意気込みのほどを述べていた。
18年にエンジェルスに入団したため、大谷は21年の東京五輪にも参加できなかった。コロナ禍のせいで、同年に予定されていた第5回WBCも2年延期となった。ただ、それは大谷にとってみれば幸運だったのかもしれない。前年の20年に自己最悪のシーズンを送っていたからだ。18年9月に実施したトミー・ジョン手術から完全復帰するはずだったが、腕を痛めて投手としては2試合投げただけ。打者としても短縮シーズンながら44試合で打率.190、7本塁打という散々な数字だった。
故障からの本格復活を果たせず、打撃でも精彩を欠いた選手がWBCに招集されたとして、開幕前の大事な時期にチームを離れることを果たしてエンジェルスは認めただろうか? また、仮にチームは許容したとしても、大谷本人が自身の判断で参加を辞退していたかもしれない。仮に出場したとして、ペナントレースにおいて満票でMVPに選ばれるほどの活躍ができただろうか。そう考えていくと、21年にWBCが開催されなったことも、むしろ吉と出たように思える。
すでに個人としては頂点を極めた大谷も、チームの一員としては、10年間のプロ生活で一度しか優勝を味わっていない。メジャーでの5年間はポストシーズンにすら進めておらず、ここ2年間は「ヒリヒリする9月を過ごしたい」という表現で、優勝争いの只中で戦いたいとの強い意志を明らかにしている。そして、WBCはその感覚を味わえる絶好の機会になる。
しかし、彼が本当の意味で「国民的英雄」となったのは、06年と09年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本に世界一へ導いてからではなかったか。それまでは、いくら活躍しても1歳年下で日本でもアメリカでも名門球団でプレーしていた松井秀喜に話題をさらわれがちだった。だが、松井が2大会続けてWBCを辞退する中、日本を優勝に導いたことで、イチローのカリスマ性は揺るぎないものとなった。
大谷翔平にも同じことが言えるかもしれない。日本ハム時代からスーパースターで、21年にはMLBでもMVPに輝いて今やメジャーリーグの顔として誰もが認めている。「好きなアスリートランキング」などでも上位には必ず名前があり、街を歩けば至るところに彼の顔を見かける。けれども、全日本チームの一員として国際大会で優勝した経験はまだない。今のままでも国民的な人気者ではあるが、来たる第5回WBCにおいて頂点を極めれば、そのキャリアはまさに「完璧」になる。
大谷は前回、17年の第4回大会にも出場が予定されていた。前年の16年に日本ハムを日本一に導き、パ・リーグMVPを受賞。11月には強化試合に参加して、東京ドームの天井の隙間に打球が吸い込まれる「飛距離160mの二塁打」を放って期待を高めた。しかしながらこの時期に痛めた右足首が、年が明けても完治することなく、WBC出場は見送りとなってしまった。 その際、大谷は「100%で行ける自信はない。それでは行くべきではないと納得して決めました」と語っていた。その思いがあったからこそ、今回のWBCには全力で臨むことを決意したのだろう。先日、アメリカでキャンプインした当日にも、報道陣の取材に応えて「いつか出てみたいと思っていた大会。前回はなかなかタイミングも合わず出られなかったことを考えると、すごい特別な気持ちではある」と意気込みのほどを述べていた。
18年にエンジェルスに入団したため、大谷は21年の東京五輪にも参加できなかった。コロナ禍のせいで、同年に予定されていた第5回WBCも2年延期となった。ただ、それは大谷にとってみれば幸運だったのかもしれない。前年の20年に自己最悪のシーズンを送っていたからだ。18年9月に実施したトミー・ジョン手術から完全復帰するはずだったが、腕を痛めて投手としては2試合投げただけ。打者としても短縮シーズンながら44試合で打率.190、7本塁打という散々な数字だった。
故障からの本格復活を果たせず、打撃でも精彩を欠いた選手がWBCに招集されたとして、開幕前の大事な時期にチームを離れることを果たしてエンジェルスは認めただろうか? また、仮にチームは許容したとしても、大谷本人が自身の判断で参加を辞退していたかもしれない。仮に出場したとして、ペナントレースにおいて満票でMVPに選ばれるほどの活躍ができただろうか。そう考えていくと、21年にWBCが開催されなったことも、むしろ吉と出たように思える。
すでに個人としては頂点を極めた大谷も、チームの一員としては、10年間のプロ生活で一度しか優勝を味わっていない。メジャーでの5年間はポストシーズンにすら進めておらず、ここ2年間は「ヒリヒリする9月を過ごしたい」という表現で、優勝争いの只中で戦いたいとの強い意志を明らかにしている。そして、WBCはその感覚を味わえる絶好の機会になる。
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