わずか2メートル届かなかった。だが、大谷翔平(ロサンゼルス・エンジェルス)が現地4月27日のオークランド・アスレティックス戦で史上初の「先発投手がサイクルヒット」の快挙まであと一歩に迫った。
この記録を紐解いてみると、実はMLBだけでなくNPBでも前例がない。だが、あと一歩まで迫った選手は何人かいた。今回はその中から4人をピックアップしてみた。
●川上哲治
5度の首位打者に輝き、“打撃の神様”とも称された川上も、プロ入りから4年間は投手の“二刀流”だった。初の首位打者に輝いた1939年も、18試合に登板して6勝を挙げている。先発試合のサイクルを惜しくも逃したのもこの年だ。
4月10日の対南海(現ソフトバンク。当時は1リーグ制だった)戦に、川上は5番・投手で先発した。この日は両軍とも打線が好調で、川上はピッチングの方では6回投げて5失点とあまりピリッとしなかったものの、バッティングは好調だった。第1打席に二塁打を放つと、その後も安打、三塁打と早くもサイクルにリーチをかけた。
そして、回ってきた4打席目は再び二塁打。最後のチャンスとなった5打席目もヒット。5打数5安打と“打撃の神様”の実力は存分に発揮したものの、残念ながら本塁打だけは打てなかった。
なお川上は42年以降に打者に完全転向。三塁打は99本(歴代4位)放っていて、54年に一度だけサイクル安打を達成している。
●別所昭
史上2人目の300投手、別所がサイクル安打の快挙に迫ったのは、46年7月15日のことである。当時グレートリング(現ソフトバンク)に所属していた別所は、ゴールドスター(ロッテの前身の一つ)戦に先発した。
この年の別所は最終的にリーグ2位の19勝、同3位の防御率2.47を記録したように好調で、この日のピッチングも圧倒的だった。後に史上初の通算1000安打を達成する巧打者・坪内道則らを擁する打線を向こうに回して、散発7安打の完封勝利を挙げている。
その一方でこの試合では、グレートリングが計28安打26得点と打線が大爆発。別所もその勢いに乗って7回に本塁打を叩き込むなど、6打数3安打。サイクルでは一番難しい三塁打も記録してリーチをかけるも、二塁打が出ずに快挙達成はならず。投手史上最多の通算500安打を放っている別所だが、その後2度と機会は巡ってこなかった。
この記録を紐解いてみると、実はMLBだけでなくNPBでも前例がない。だが、あと一歩まで迫った選手は何人かいた。今回はその中から4人をピックアップしてみた。
●川上哲治
5度の首位打者に輝き、“打撃の神様”とも称された川上も、プロ入りから4年間は投手の“二刀流”だった。初の首位打者に輝いた1939年も、18試合に登板して6勝を挙げている。先発試合のサイクルを惜しくも逃したのもこの年だ。
4月10日の対南海(現ソフトバンク。当時は1リーグ制だった)戦に、川上は5番・投手で先発した。この日は両軍とも打線が好調で、川上はピッチングの方では6回投げて5失点とあまりピリッとしなかったものの、バッティングは好調だった。第1打席に二塁打を放つと、その後も安打、三塁打と早くもサイクルにリーチをかけた。
そして、回ってきた4打席目は再び二塁打。最後のチャンスとなった5打席目もヒット。5打数5安打と“打撃の神様”の実力は存分に発揮したものの、残念ながら本塁打だけは打てなかった。
なお川上は42年以降に打者に完全転向。三塁打は99本(歴代4位)放っていて、54年に一度だけサイクル安打を達成している。
●別所昭
史上2人目の300投手、別所がサイクル安打の快挙に迫ったのは、46年7月15日のことである。当時グレートリング(現ソフトバンク)に所属していた別所は、ゴールドスター(ロッテの前身の一つ)戦に先発した。
この年の別所は最終的にリーグ2位の19勝、同3位の防御率2.47を記録したように好調で、この日のピッチングも圧倒的だった。後に史上初の通算1000安打を達成する巧打者・坪内道則らを擁する打線を向こうに回して、散発7安打の完封勝利を挙げている。
その一方でこの試合では、グレートリングが計28安打26得点と打線が大爆発。別所もその勢いに乗って7回に本塁打を叩き込むなど、6打数3安打。サイクルでは一番難しい三塁打も記録してリーチをかけるも、二塁打が出ずに快挙達成はならず。投手史上最多の通算500安打を放っている別所だが、その後2度と機会は巡ってこなかった。