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オークランドからラスベガスへ――“約束の地”を求め続けるアスレティックスは存在自体が極上のブルースだ<SLUGGER>

豊浦彰太郞

2023.05.30

閑古鳥が鳴くオークランド・コロシアム。球団は早ければ25年からラスベガスに移転する可能性もある。(C)Getty Images

 4月末、アスレティックスがラスベガスへの本拠地移転に向け、メインストリートのラスベガス・ストリップ周辺の土地の買収に合意したとのニュースが流れた。
 
 A'sの歴史は、個性的な経営者の下での栄光と低迷、そして移転の輪廻だ。20世紀前半はフィラデルフィアを本拠地とし、オーナーでもあったコニー・マック監督が50年間の長期政権を築いた。その間に2度の黄金時代があったが、いずれも最後には選手の年俸上昇→スター選手の切り売り→低迷という事態を招いた。

 1955年に中西部のカンザスシティに移転。60年には新オーナーとしてチャーリー・O・フィンリーが登場し、当時としては斬新だったカラフルなユニフォームを採用。ヒゲを奨励し、伝説のニグロリーガーである59歳の投手サッチェル・ペイジと契約するなど、さまざまな話題を提供した。

 そして68年、今度は西海岸オークランドに移転する。72~74
年はワールドシリーズ3連覇を成し遂げたが、それでも客足は伸びなかった。選手との衝突も多かったフィンリーは熱意を失ってスターを次々と放出。その結果、不入りはさらに深刻になった。

 88年からは、89年の世界一を含んでリーグ3連覇を果たしたが、その後はジリ貧に。2000年代以降はビリー・ビーンGMの下、マネー・ボール戦略で脚光を浴びるも、プレーオフではほとんど勝てず。解体と育成の繰り返しで動員力不足は解決できなかった。
 正直なところ、ベイエリアでの新球場建設はもう無理だろう。06年に発表されたフリーモント(オークランドの東南約40キロ)への移転計画は、環境悪化を懸念する住民の反対で頓挫した。サンノゼ(サンフランシスコの南約90キロ)移転も、フランチャイズ権を有するジャイアンツの猛反対で立ち消えになった。

 オークランドにほど近い大学の敷地の一部を買収しての球場建設案がお蔵入りになり、そのそばの港湾ハワード・ターミナルでの住居や商業施設とセットのプランも遅々として進んでいない。その間には現在のコロシアムを建て替える案も出るなど、これまでは「A'sの新球場はオバケと同じ、噂だけで実際に建設された試しがない」状態だった。

 かと言って、ラスベガス移転にバラ色の未来が待っているわけではない。目処が立ったのは球場用地の買収だけで、15億ドルとも伝えられる建設費の3分の1は公費の投入に頼らざるを得ず、その確保は予断を許さない。

 また、ベガスは多くの観光客が大量のカネを落としていく不夜城だが、周辺を含めた都市圏人口は決して多くない。短期間しか滞在しない観光客頼りで、地元に根付いたファンベースを築けるのだろうか。

 もっとも、マーケットが大きければいいわけでもない。その好例(悪例?)がモントリオールだ。周辺も含めれば400万人以上の人口を擁する大都市だが、04年限りで移転したエクスポズの晩年の目を覆わんばかりの不入りは、比較的記憶に新しい。

 アスレティックスの歴史は、栄光とどん底を繰り返すジェットコースターだ。リーグ優勝15度、世界一9度を誇るが、一方で最下位が38回もある。
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ベガス移転は現在のA'sのアイデンティティの喪失