育成ドラフトでの指名でプロ入りし、メジャー・リーグ(MLB)にまで駆け上がった日本人選手は、千賀滉大が初のケースとなる。愛知県立蒲郡高校での最後の夏は、県大会3回戦止まり。甲子園出場経験もない公立高校にいた投手は、ドラフト会議を中継していたCS局にも顔写真の準備すらなかったことが、その“無名度”を物語っているとも言えるだろう。
そこから日本を代表する投手へと成長を遂げ、海外フリーエージェント(FA)権を行使し、MLBの強豪ニューヨーク・メッツと5年7500万ドル(約103億円)での大型契約を結ぶまでになる“未来図”を描くことになろうとは、誰が一体、想像できただろうか。
この『埋もれていた逸材』を発掘したのが、名古屋市内の運動具店「ベースボールショップ西正」の店主・西川正二氏(故人)だったことは、いまや千賀を語る上で欠かせないエピソードのひとつでもある。
千賀自身は「一度もお会いしたことがなかった」という西川氏は、職業柄、東海地域の高校野球の情報に精通しており、ソフトバンクのスカウト部長(当時)・小川一夫は、名古屋へ足を運ぶたびに西川氏との会食の場を持ち、そのディープな地元ネタを聞くのを、楽しみにしていたほどだった。
その西川氏が、複数の高校野球の関係者から「蒲郡に速い球を投げるピッチャーがいるらしいんですが、知りませんか?」と尋ねられたことから、学校まで実際に足を運んだという。千賀の投球練習を見た後、小川に「いい投手がいるんです」と連絡を入れたのが、ソフトバンクと千賀との縁となる。
ドラフト会議まで1か月を切った頃にもたらされた西川氏からの電話は、2011年から3軍制に拡大することを決定していたソフトバンクが、育成指名の枠を広げ、指名対象選手の候補を洗い直していたそのタイミングとも、ピタリとはまった。
小川は、部下のスカウト3人を急きょ蒲郡高へ派遣し、千賀の投球練習をビデオ撮影。その映像を見た瞬間、小川は「大学へ行ったら、4年後に1位指名で競合する素材」と確信したという。南海からダイエーへと球団が譲渡された1989年からスカウトを務めてきた小川にとっても「自分の目で実際に見ずに、映像だけで獲得を決めたのは千賀だけだな」と振り返ったほどの即決の逸材でもあった。
だから、千賀はソフトバンクの「3軍1期生」でもある。その年の育成ドラフトは、4位の千賀に続き、5位に牧原大成(熊本・城北高)、6位が甲斐拓也(大分・楊志館高)。育成選手の拡大で当時の選手寮が手狭となり、寮の本館の前に建てられたプレハブに、6人の育成選手たちの個室が割り当てられることになった。その入り口の手前から指名順に部屋が割り当てられたため、千賀の隣には牧原、その奥が甲斐という並びだった。
2022年9月25日、千賀と甲斐が2人でお立ち台に立つ機会があり、ヒーローインタビューが終わると、2人は牧原を呼び寄せ、3人で肩を並べてグラウンド一周した。それは、プレハブの小部屋で「いつかきっと、3人一緒に1軍で活躍しよう」と誓い合っていた『夢』を、2023年からのメジャー移籍を決意していた千賀が、最後の最後に、やっと実現させたシーンでもあった。
そこから日本を代表する投手へと成長を遂げ、海外フリーエージェント(FA)権を行使し、MLBの強豪ニューヨーク・メッツと5年7500万ドル(約103億円)での大型契約を結ぶまでになる“未来図”を描くことになろうとは、誰が一体、想像できただろうか。
この『埋もれていた逸材』を発掘したのが、名古屋市内の運動具店「ベースボールショップ西正」の店主・西川正二氏(故人)だったことは、いまや千賀を語る上で欠かせないエピソードのひとつでもある。
千賀自身は「一度もお会いしたことがなかった」という西川氏は、職業柄、東海地域の高校野球の情報に精通しており、ソフトバンクのスカウト部長(当時)・小川一夫は、名古屋へ足を運ぶたびに西川氏との会食の場を持ち、そのディープな地元ネタを聞くのを、楽しみにしていたほどだった。
その西川氏が、複数の高校野球の関係者から「蒲郡に速い球を投げるピッチャーがいるらしいんですが、知りませんか?」と尋ねられたことから、学校まで実際に足を運んだという。千賀の投球練習を見た後、小川に「いい投手がいるんです」と連絡を入れたのが、ソフトバンクと千賀との縁となる。
ドラフト会議まで1か月を切った頃にもたらされた西川氏からの電話は、2011年から3軍制に拡大することを決定していたソフトバンクが、育成指名の枠を広げ、指名対象選手の候補を洗い直していたそのタイミングとも、ピタリとはまった。
小川は、部下のスカウト3人を急きょ蒲郡高へ派遣し、千賀の投球練習をビデオ撮影。その映像を見た瞬間、小川は「大学へ行ったら、4年後に1位指名で競合する素材」と確信したという。南海からダイエーへと球団が譲渡された1989年からスカウトを務めてきた小川にとっても「自分の目で実際に見ずに、映像だけで獲得を決めたのは千賀だけだな」と振り返ったほどの即決の逸材でもあった。
だから、千賀はソフトバンクの「3軍1期生」でもある。その年の育成ドラフトは、4位の千賀に続き、5位に牧原大成(熊本・城北高)、6位が甲斐拓也(大分・楊志館高)。育成選手の拡大で当時の選手寮が手狭となり、寮の本館の前に建てられたプレハブに、6人の育成選手たちの個室が割り当てられることになった。その入り口の手前から指名順に部屋が割り当てられたため、千賀の隣には牧原、その奥が甲斐という並びだった。
2022年9月25日、千賀と甲斐が2人でお立ち台に立つ機会があり、ヒーローインタビューが終わると、2人は牧原を呼び寄せ、3人で肩を並べてグラウンド一周した。それは、プレハブの小部屋で「いつかきっと、3人一緒に1軍で活躍しよう」と誓い合っていた『夢』を、2023年からのメジャー移籍を決意していた千賀が、最後の最後に、やっと実現させたシーンでもあった。