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銃で命を落とした若き好打者ボストック。理由は妻の浮気を疑った夫の誤解だった――【エンジェルス悲劇の暗黒史】<SLUGGER>

出野哲也

2023.06.28

77年に打率.336をマークしたボストックは「5~6回は首位打者になるだろう」と言われるほどの好打者だった。(C)Getty Images

 大谷翔平の加入後、エンジェルスは日本人にとって一番身近なメジャーリーグの球団となった。しかしながら、このチームには在籍中に亡くなった選手が5人もいるという不幸な過去もある。中でも衝撃だったのは、1978年9月24日にライマン・ボストック外野手が27歳の働き盛りで命を落とした一件だ。「5回か6回は首位打者になるだろう」と言われた天才打者は、キャリアの絶頂期に怒りで我を失った男の勘違いによって殺された。

 72年のドラフト26巡目でツインズに指名されプロ入りしたボストックは、75年にメジャーへ昇格。翌76年は6月24日にサイクルヒットを達成、打率・323はリーグ4位にランクされた。ツインズの看板打者ロッド・カルーに似た打撃スタイルでラインドライブを量産し、77年は.388の高打率だったカルーに次ぐ、リーグ2位の.336。36二塁打と12三塁打は5位、打点も90を叩き出し、守備でも1試合12刺殺の新記録を樹立した。

 メジャーで最も完成された選手の一人と呼ばれるまでになったボストックは、この時点でまだキャリアは3年しかなかったが、77年は契約を結ばずに1年間プレーしたため、フリーエージェントの権利を得る。ヤンキース、パドレスなど13球団による争奪戦が繰り広げられた中、移籍先に選んだのは地元ロサンゼルスに近いエンジェルス。5年230万ドルの好条件だった。

 だが新天地1年目は、4月に.147の低打率に喘ぐ。すると「金額に見合う働きができなかった」との理由で、同月の給料5万ドルを返上するとオーナーに申し出た。説得されて受け取りはしたものの、それでも納得がいかず、3万6000ドルを慈善団体などに寄付した。
 6月以降は調子を取り戻して打率を.296まで上げ、9月22日にホワイトソックスと対戦するためシカゴへ飛んだ。翌23日のデーゲーム終了後、ボストックはシカゴに近いインディアナ州ゲイリーに住むおじを訪ね、知人女性と会い昔話に花を咲かせた。彼女から、親戚の家へ行くので車を使わせてもらえないかと頼まれると、これを快諾。一緒におじの運転する車に乗りこんだ。

 だがその様子を、離れた場所から車の運転席で見つめる男がいた。女性の夫、レナード・スミスである。日常的に暴力を振るう夫から逃れるため、女性は実家に戻り、離婚の手続きを始めていたのだ。妻を連れ戻そうとしてやってきた彼の目の前で、車の後部座席で隣に座ったボストックが浮気相手に違いないと、スミスは思い込み、ボストックの車の後を追う。

 交差点にさしかかったところで車を横付けしたスミスは、ライフルを取り出し後部座席を目がけ引き金を引いた。弾はボストックのこめかみに命中。救急車で病院に運ばれたが、3時間後に息を引き取った。

 
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