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高校野球

平塚球場を整備する元高校野球監督の想い。定年後にグラウンドキーパーへ転身「暑さも忘れるくらい最高の仕事」

大友良行

2023.07.14

平塚球場のグラウンドキーパーを務める賀澤さん。写真:大友良行

平塚球場のグラウンドキーパーを務める賀澤さん。写真:大友良行

 平塚球場最前列のネット越しから若者たちがグラウンド整備中のキーパーに声をかける。

「おお、元気か!」と懐かしそうに応対する。数年前の監督と野球部員たちの短い言葉のキャッチボールが始まる。ここ2、3年、夏の神奈川県大会が始まると平塚球場のフェンス際で繰り広げられるちょっとしたコミュニケーションのひとコマだ。
 
 砂埃にまみれてトンボをかけトラクターを運転しながら真っ黒に日焼けした賀澤進さん(65歳)。現在は平塚球場のグラウンド整備員として働いている。賀澤さんは長い間、高校野球の監督を務めた神奈川県の元公立高校教員だ。定年後の今も、大好きな野球に携わっている。

 賀澤さんといえば、高校時代は県下でも有数の打撃力を持ち合わせた大和高の名ショート。年配の高校野球ファンならば記憶の片隅には間違いなく残っている名前だ。当時スカウトからもマークされていた存在でもある。

 3年時は第3シードでベスト8入りを目前に、当時実力、人気とも絶頂期にある1学年下のス-パースター原辰徳選手(現巨人監督)を擁する東海大相模高と戦い、こっぴどくやられた苦い思い出が何度もある。

「相模とは同じ北相地区だったのでよく対戦したが一度も勝てなかった。原辰徳だけでなく津末英明(元日本ハム、巨人)、村中秀人(東海大甲府監督)などもいて、まさにスター軍団。とにかく強すぎた」と当時を懐かしそうに語る賀澤さん。

 大学は、指導者を目指していたため日体大に進学。家庭の事情もあり野球部には所属せずバイトしながら、母校の野球を手伝う4年間を過ごした。

 卒業後、座間高の体育教員となり、部長を務めたのち、5年目から念願の監督を3年。部長としてベンチ入りしていた3年目に県大会ベスト8目前で山本昌(元中日)と荒井直樹(現前橋育英高監督)のダブルエースを抱える日大藤沢校と対戦。荒井に大記録となる2試合連続のノーヒットノーランという大記録を達成されてしまう(座間高は2試合目)喜べない思い出がある。

 その後、新設のひばりが丘高(2009年閉校)で8年。大和高で8年。大和南高で9年。平塚江南高で5年間と長い間、高校野球の監督生活を続けた。先述のネット越しのやりとりは、偶然にも元監督の整備姿に教え子たちが気つき、懐かしさから思わず声をかけ挨拶したということだ。

 長いこと続けてきた教員生活兼高校野球監督生活も定年を迎え「60歳まで頑張って監督をやってきたので、若手に譲ることにした」とのことで、一時野球から離れ2年間限定で親戚の埼玉県深谷市にある農家で畑の世話から、軽トラで都内への販売などの仕事を手伝った。2年限定での仕事が終わるちょうどその頃、平塚市が会計年度任用職員(非常勤公務員)として」平塚球場のグラウンド整備員を募集していることを知った。「やっぱり野球にズーッと関わっていたい」の思いが急激にこみ上げてきた。「ゆっくりしたら」という奥さんの静止も聞かずに、さっそく応募。2021年4月から平塚球場の整備員として働いている。
 
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