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プロ野球

「依頼があれば断る理由はない」落合博満氏が語った社会人野球への想い

山本祐香

2019.12.15

「初めて息子と都市対抗観に来て、観客席でビール。これをしたかった」と一観客として楽しんでいる落合氏は、社会人野球の存在意義についても語った。写真:朝日新聞社

「初めて息子と都市対抗観に来て、観客席でビール。これをしたかった」と一観客として楽しんでいる落合氏は、社会人野球の存在意義についても語った。写真:朝日新聞社

 静かな緊張感の中、穏やかに話す名将の言葉に取材陣の誰もが耳を傾けていた。

 7月25日に開催された都市対抗野球大会決勝戦当日のことだ。この日の始球式を務めた中日の元監督・落合博満氏が大役を終えて記者会見に臨むと、自らも籍を置いた社会人野球への切実な思いを語った。

 落合氏は、1974~78年に東芝府中に在籍。76年にはチームを都市対抗野球大会出場へと導き、77、78年には補強選手として出場した。翌年から19年に渡りプロ野球選手として活躍し、その後は監督やGMと長くプロ野球に関わってきたが、常に、社会人野球のことは気にかけてきた。

 記者会見では、冒頭から落合氏の本音が語られた。
 
 落合氏は、一度野球を辞めたことがある。秋田工業高校から東洋大学に進学、硬式野球部に入部したものの故障やチームの慣習に馴染めなかったことから数ヵ月で退部し、大学も中退。これが72年のことだった。一度地元の秋田に戻り2年後の74年、東京芝浦電気の府中工場に入社。そして、社会人野球チーム・東芝府中の一員となった。
 
「落合さんにとって社会人野球とはどんな存在ですか?」

 そんな記者の代表質問に、落合氏は「原点」と答え、こう続けた。

「一回野球を辞めた人間が、社会人野球のこの都市対抗に初めて出るということでまた野球の門が開けた。これがなかったら今ここにもいないだろうし、野球というのは手放していたかもしれないね。そういう意味では『原点』なんだろうね。普通の人だったら高校や大学を『原点』って言うでしょ? 俺の場合は、東芝府中で初めて都市対抗に出たというのが野球の『原点』で、そこから扉を開いて今現在に至っているってことなんだと思うよ」
 
 そう話す落合氏の表情は柔らかく、その優しい口調からも社会人野球を大切に思う気持ちがにじみ出ている。
 
 この日、東京ドームで行われた千葉市・JFE東日本と豊田市・トヨタ自動車の決勝戦には、それぞれの企業が動員をかけた社員と一般客を合わせて2万8千人の観客が詰めかけていた。記者の「今大会も、社員がこぞって応援に来て満員になっている姿をご覧になってどう思いますか」という問いに、落合氏が答える。
 

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