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【玉木正之のベースボール今昔物語:第8回】「ホームランは常に野球の華だった」は誤り...今も根強い球界の“間違った常識”<SLUGGER>

玉木正之

2025.04.08

マグワイアは98年に70本塁打を放ってMLBシーズン記録を更新した(C)Getty Images

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

 これは19世紀のドイツで「鉄血宰相」と呼ばれた政治家オットー・フォン・ビスマルクの残した格言だ。

 私は、スポーツ関係者と話をするたびに、この言葉を脳裏に思い浮かべた経験が何度かある。中でも最も衝撃的だったのは、次の一件だった。

 1998年、カーディナルスのマーク・マグワイアが、27年にヤンキースのベーブ・ルースが記録した年間60ホーマーと、同じくヤンキースのロジャー・マリスが61年に記録したシーズン61ホーマーの記録を、一気に抜き去ろうとしていた時のことだ。

 マグワイアは、その年70ホーマーまで記録を伸ばしたのだが、その4年前に野茂英雄投手がドジャースに入団し、毎年大活躍を見せていたこともあって、日本のメディアがメジャーリーグにも注目するようになり、この大記録のこともさまざまなメディアが取り上げ、大きな話題になっていた。

 そこで私にもNHKから『クローズアップ現代』への出演を求められ、メジャーのホームラン記録について話すことになった。私は番組前の打ち合わせの時にまず、メジャーのベースボールでも日本のプロ野球でも、昔はホームランの記録などまったく騒がれず、問題にもされなかった、という話を始めた。

 メジャーではレッドソックス時代のベーブ・ルースが投手としても活躍していた二刀流時代にホームランを打ち始め、そこで初めてファンも関係者もホームランという"行為"と"結果"に少しは注目し始めた。が、彼が1918年に11ホーマー、19年に29ホーマーのリーグ最多のホームランを打ったところで、ホームラン王のタイトル表彰もなければ、その記録が称賛されるわけでもなかった(新聞にホームランの記録=本数など書かれなかったという)。
 ところが20年にルースがヤンキースに移籍し、そこでポンポンとホームランを打ち始め、終わってみれば54ホーマーという過去にない、信じられない頻度でホームランを放ったものだから、ファンもメディアも大騒ぎ……メディアや古いファンから、大批判の大嵐が巻き起こったという。『ニューヨーク・タイムズ』紙や評論家は「野手が手を伸ばしてもとどかない場所に打球を放つのは卑怯だ」と、非難したというのだ。

 それまでは野手の間を狙って抜く「プレスヒット(プレイスメント・ヒット=狙い打ち)」こそ価値がある打撃と評価され、タイ・カッブの打撃王(リーディング・ヒッター=首位打者)12回や通算4189安打は評価されても、ホームランなど記録にも残されていなかったのだ。

 しかし、ルースの放つ豪快な打球、青空に吸い込まれるように高々と舞い上がる白球の美しさに、多くのファンは大興奮して喜んだ。連日、大量の観客が球場に足を運ぶようになり、メジャーリーグもホームランという打球の価値を過去の記録まで調べ直して認めるようになった。その上ヤンキースは、それまでニューヨーク・ジャイアンツと共同使用していたポロ・グラウンズを離れ、23年に新しくヤンキー・スタジアムを建設するほどになり、そこでもホームランを打ち続けたルースは27年にシーズン60ホーマーの大記録を樹立したのだった。

 以来、ホームランはベースボールでのバッターの最高の価値と誰もが認めるようになり、ルース以後のベースボールが、「モダン(近代)・ベースボール」と呼ばれるようになったのだった。

 その事情は、日本のプロ野球も変わらない。戦前の1リーグ時代には、ホームラン王の表彰もなければ記録も残されていなかった。

 1934(昭和9)年にはルースやルー・ゲーリッグを含む大リーグ・オールスターチームが来日し、それがきっかけで職業野球(現在のプロ野球)が生まれたのだから、日本の野球関係者もファンもルースをはじめとするメジャーのホームランの魅力は知っていた。が、戦前に日本野球で使用されたボールは質が悪く、反発力が小さく、タマに出る本塁打は外野手の間を抜けるランニング・ホームランがほとんどだった。ホームランはあくまでもヒットの延長で、その価値がヒット以上に認められることはなかった。