2020年にア・リーグ本塁打王を獲得したルーク・ボイト(現在はメキシカン・リーグ所属)に、楽天入りの噂が出ている。正式に実現すれば、メジャーの元ホームラン王が来日するのは史上7人目。では、果たして過去の6人はどのような活躍ぶりだったのだろうか?
●ラリー・ドビー(1962年・中日) MLB通算本塁打数:253本/NPB通算本塁打数:10本
1947年7月5日にインディアンス(現ガーディアンズ)でメジャーデビュー。約2ヵ月前にドジャースでデビューしたジャッキー・ロビンソンに次いで史上2人目、ア・リーグでは初の黒人選手だった。52年と54年に32発を放ってホームラン王を獲得した。
ただ、59年限りで選手としては一度引退して球界を離れており、62年6月に中日入りした際にはすでに38歳だった。元メジャーリーガーということで話題にはなったが、ブランクもあってか72試合で10本塁打にとどまって1年限りで退団。その後はコーチを歴任し、78年にはホワイトソックスで史上2人目の黒人監督に。94年には背番号「14」がインディアンスで永久欠番となり、98年には殿堂入りも果たしている。
●フランク・ハワード(1974年・太平洋) MLB通算本塁打数:382本/NPB通算本塁打数:0本
身長2m、体重125kgの堂々たる体格から長打を飛ばす巨漢のロングヒッター。デビューはドジャースだが、ワシントン・セネタース(現テキサス・レンジャーズ)在籍中に2度の本塁打王を獲得するなど活躍したことから“キャピタル・パニッシャー”(首都の処刑人)の異名を取った。
メジャー16年で通算382本塁打の実績を引っ提げ、74年に太平洋クラブ(現西武)が獲得。実績も相まって注目度は高く、シーズン前には「ハワードは何本ホームランを打つか?」のクイズに当たったらグアム旅行にご招待なるというプレゼント企画も発表されたが、当のハワードは古傷の右膝が致命的に悪化していた。結局、出場できたのは開幕戦の3打席のみ。5月には帰国してしまい、クイズの答えは何と「0本」だった。
●ベン・オグリビー(1987~88年・近鉄) MLB通算本塁打数:235本/NPB通算本塁打数:46本
パナマ出身の左の強打者で、極端にバットを後方に引いて構える独特のフォームから、ブルワーズ時代の80年に41本塁打を放ち、アメリカン・リーグでは史上初の米国以外出身者のホームラン王となった。
87年に38歳で近鉄と契約する。大物メジャーリーガーでありながら紳士的な性格で、内野ゴロでも全力疾走とプレーにも手を抜かず、チームメイトの信頼は厚かった。風呂でチームメイトとはしゃぎ、「メジャーでは白人と黒人が一緒に風呂に入ることなどないのに」と感激した、との逸話も残る。2年連続で100試合以上に出場して20本塁打を放つなど実力を発揮し、88年のあの「10.19」、対ロッテダブルヘッダーを最後に退団した。
●ラリー・ドビー(1962年・中日) MLB通算本塁打数:253本/NPB通算本塁打数:10本
1947年7月5日にインディアンス(現ガーディアンズ)でメジャーデビュー。約2ヵ月前にドジャースでデビューしたジャッキー・ロビンソンに次いで史上2人目、ア・リーグでは初の黒人選手だった。52年と54年に32発を放ってホームラン王を獲得した。
ただ、59年限りで選手としては一度引退して球界を離れており、62年6月に中日入りした際にはすでに38歳だった。元メジャーリーガーということで話題にはなったが、ブランクもあってか72試合で10本塁打にとどまって1年限りで退団。その後はコーチを歴任し、78年にはホワイトソックスで史上2人目の黒人監督に。94年には背番号「14」がインディアンスで永久欠番となり、98年には殿堂入りも果たしている。
●フランク・ハワード(1974年・太平洋) MLB通算本塁打数:382本/NPB通算本塁打数:0本
身長2m、体重125kgの堂々たる体格から長打を飛ばす巨漢のロングヒッター。デビューはドジャースだが、ワシントン・セネタース(現テキサス・レンジャーズ)在籍中に2度の本塁打王を獲得するなど活躍したことから“キャピタル・パニッシャー”(首都の処刑人)の異名を取った。
メジャー16年で通算382本塁打の実績を引っ提げ、74年に太平洋クラブ(現西武)が獲得。実績も相まって注目度は高く、シーズン前には「ハワードは何本ホームランを打つか?」のクイズに当たったらグアム旅行にご招待なるというプレゼント企画も発表されたが、当のハワードは古傷の右膝が致命的に悪化していた。結局、出場できたのは開幕戦の3打席のみ。5月には帰国してしまい、クイズの答えは何と「0本」だった。
●ベン・オグリビー(1987~88年・近鉄) MLB通算本塁打数:235本/NPB通算本塁打数:46本
パナマ出身の左の強打者で、極端にバットを後方に引いて構える独特のフォームから、ブルワーズ時代の80年に41本塁打を放ち、アメリカン・リーグでは史上初の米国以外出身者のホームラン王となった。
87年に38歳で近鉄と契約する。大物メジャーリーガーでありながら紳士的な性格で、内野ゴロでも全力疾走とプレーにも手を抜かず、チームメイトの信頼は厚かった。風呂でチームメイトとはしゃぎ、「メジャーでは白人と黒人が一緒に風呂に入ることなどないのに」と感激した、との逸話も残る。2年連続で100試合以上に出場して20本塁打を放つなど実力を発揮し、88年のあの「10.19」、対ロッテダブルヘッダーを最後に退団した。