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【プエルトリコ野球“復権”の理由:後編】“新時代の育成法”で好選手を輩出

中島大輔

2020.07.30

12年にドラフト全体1位指名されたコレアは15年に新人王に選ばれるなど順調に成長した。(C)Getty Images

12年にドラフト全体1位指名されたコレアは15年に新人王に選ばれるなど順調に成長した。(C)Getty Images

「カルロスはとても頭の良い子だったよ。GPA(成績評価値)でフルポイントを獲得した。規律と情熱を兼ね備え、ハードワークしながら成長した」

 12年、プエルトリコ出身者で初めてMLB新人ドラフト全体1位で指名されたコレアの成功は、人口約320万人のこの島にとって非常に大きな意味を持っている。新時代の育成法が順調に進んでいる証と言えるからだ。

 97年のオールスターでイバン・ロドリゲス、ロベルト・アロマーら6人のプエルトリカンが選ばれるなど、90年代は多くの好選手を生み出したが、2000年代に入ると勢いを落としていく。メジャーデビューした人数を見ると、90年代は58人だったのが00 年代は42人に減少。その理由とされるのが、プエルトリコが89年からMLBのドラフトに組み込まれたことだ。

 以前は中南米諸国と同じように16歳になればアマチュア・フリー・エージェントとして好きな球団と契約できたのが、アメリカ人やカナダ人と同じくドラフトの対象になった。プエルトリコの少年たちにとってはプロ入りのハードルが高くなり、「ブスコン」と呼ばれる非公式代理人は選手をMLB球団に送り込んだ際に契約金の一部を手数料として得られなくなった。そうしてプエルトリコはMLBで活躍する選手の数を減らしていった。
 
 しかし2010年代後半になると、リバイバル期が訪れる。コレア以外にもフランシスコ・リンドーア(インディアンス)、ハビア・バイエズ(カブス)らがMLBを代表するショートストップとして台頭、ホゼ・ベリオス(ツインズ)は17年から3年連続2ケタ勝利を飾り、エドウィン・ディアス(メッツ)はマリナーズ時代の18年にセーブ王に輝くなど、多くの選手が活躍するようになった。

「プエルトリコの野球はローラーコースターのような道を歩んできたが、今、ピークを迎えようとしている」

 カルロス・ベルトラン・アカデミーでエグゼクティブ・ディレクターを務めるエドウィン・マルドナードはそう話した。00年からマイナーリーグなどで10年間プレーしたマルドナードは、自身が子供の頃と大きく環境が変わったことを実感している。

「練習環境が良くなり、子供たちは成長している。我々のようなアカデミーが彼らの成長をサポートするようになったからね」
 

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