データを利用してアドバンテージを得ている点では、『MVP』は『マネー・ボール』や『ビッグデータ~』と共通している。だが、決定的に違う点が一つある。アスレティックスやパイレーツが試みたのは、いずれもこれまで見過ごされていた概念、あるいは新たな知見を生かして、その目的に叶う選手を獲得してチームを強化することだった。だが『MVP』が描いているのは、球団側が「選手たちを発見する」のではなく、逆に選手が自らデータを使って技能を改善していく点、そしてアストロズのように球団の主導によって選手を「作り変えていく」――リンドバーグの言葉を借りれば「ラバを競走馬へ変えていく」過程である。
もちろん、これまでも選手たちはさまざまな手段でスキルアップを図ってはいた。1980~90年代に首位打者を8回も獲得した名打者トニー・グウィンが、早い時期からビデオテープで自身のスウィングを解析していたのは有名だ。JD・マルティネス(レッドソックス)やターナーが、トラックマン/スタットキャストの数値を参考にスウィングを改造して成績を向上させたのも、その流れから大きくはみ出すものではない。根拠とするものが自分の目から得た情報や自身の感覚なのか、機械的に弾き出された明確な数字に基づいたものかの違いである。 斬新なように思えるフライボール打法も、70~80年代に名打撃コーチとして多くの打者を育てたチャーリー・ラウの打撃理論と一致するという。守備シフトにしてもすでに1920年代には存在しており、一見、目新しそうな概念や作戦も、実は同じような例が以前にもあった、ということは少なくない。ここ数年で矢継ぎ早に登場した新機軸の数々は、そうした過去の常識に、データによる理論的な裏付けを与えて甦らせたものと言える。
■MLB史上最大の改革者リッキーの2つの偉業
そもそも、MLBの歴史自体がイノベーションの連続だった。新たな戦術やルールの改定、チーム作りの方法の変化などによって、MLBは一段上の次元へ上がり続けてきたのである。
戦術上ではMLB史上最も重要なイノベーションと言っていいライブボール時代の到来は、今から100年前に起きた。1920年より前は球場が広い上にボールも飛ばず、柵越えのホームランは滅多に出なかったので、バントや盗塁、ヒットエンドランを多用する、現在の用語を使えばスモール・ボールが攻撃の常道だった。この“デッドボール時代”は試合中にボールを交換することもなく、泥や唾(当時は、唾をボールにつけて変化させるスピットボールが投げられていた)で汚れたボールが平気で使われていた。しかし20年にスピットボールが禁止され、汚れたボールもすぐ取り替えるようにした結果、打者はボールが見やすくなり、球自体もよく飛ぶようになった。
もちろん、これまでも選手たちはさまざまな手段でスキルアップを図ってはいた。1980~90年代に首位打者を8回も獲得した名打者トニー・グウィンが、早い時期からビデオテープで自身のスウィングを解析していたのは有名だ。JD・マルティネス(レッドソックス)やターナーが、トラックマン/スタットキャストの数値を参考にスウィングを改造して成績を向上させたのも、その流れから大きくはみ出すものではない。根拠とするものが自分の目から得た情報や自身の感覚なのか、機械的に弾き出された明確な数字に基づいたものかの違いである。 斬新なように思えるフライボール打法も、70~80年代に名打撃コーチとして多くの打者を育てたチャーリー・ラウの打撃理論と一致するという。守備シフトにしてもすでに1920年代には存在しており、一見、目新しそうな概念や作戦も、実は同じような例が以前にもあった、ということは少なくない。ここ数年で矢継ぎ早に登場した新機軸の数々は、そうした過去の常識に、データによる理論的な裏付けを与えて甦らせたものと言える。
■MLB史上最大の改革者リッキーの2つの偉業
そもそも、MLBの歴史自体がイノベーションの連続だった。新たな戦術やルールの改定、チーム作りの方法の変化などによって、MLBは一段上の次元へ上がり続けてきたのである。
戦術上ではMLB史上最も重要なイノベーションと言っていいライブボール時代の到来は、今から100年前に起きた。1920年より前は球場が広い上にボールも飛ばず、柵越えのホームランは滅多に出なかったので、バントや盗塁、ヒットエンドランを多用する、現在の用語を使えばスモール・ボールが攻撃の常道だった。この“デッドボール時代”は試合中にボールを交換することもなく、泥や唾(当時は、唾をボールにつけて変化させるスピットボールが投げられていた)で汚れたボールが平気で使われていた。しかし20年にスピットボールが禁止され、汚れたボールもすぐ取り替えるようにした結果、打者はボールが見やすくなり、球自体もよく飛ぶようになった。