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MLB

ファームシステム導入、マネーボール、そしてフライボール革命――MLBイノベーションの歴史

出野哲也

2019.12.05

 そのような状況で登場したのがベーブ・ルースである。もともと並外れたパワーの持ち主だったルースは、「バットを短く持ち、ダウンスウィングでゴロを打つ」常識を覆し、力一杯バットを振り回してフェンスの向こう側へボールを運んだ。20年には54本塁打、リーグ総数の15%を一人で稼ぐ圧倒的な本数を記録した。ジョン・マグローやタイ・カッブに「大雑把でつまらない」と非難されてもその効果は目覚ましく、ファンからも熱狂的に支持されると、他の打者もルースに追随して本塁打数は激増。こうしてMLBのプレースタイルは根本から変わったのだ。

 投手側の戦術では、リリーフ投手の登場が最大の変化だった。かつては先発投手が完投するのが当たり前だったが、20年代にファーポ・マーベリーが最初のリリーフエースと呼ばれ、40年代頃からはリリーフ専門の投手も増え始めて、69年にはセーブが公式記録となる。80年代後半にはトニー・ラルーサ監督/デーブ・ダンカン投手コーチのコンビによって、勝ちパターンのリリーバーは「イニングの頭から」「1イニング限定」など、明確に役割が分担化され、常識として定着した。だが、近年ではそうした起用法に疑問が持たれ始め、状況に応じたフレキシブルな起用法が目立つようになった。ついには先発/リリーフの固定観念を覆すオープナー作戦まで編み出されている。ブルペンの使い方はまだ進化する余地があるのかもしれない。
 チーム作りにおけるイノベーションには、史上最高のGMと言われるブランチ・リッキーが大いに関わっている。彼の功績はファームシステムの導入、そして人種の壁を打破するインテグレーションに踏み切ったことだ。

 100年前のマイナーリーグは、現在のようにメジャーの下部組織ではなく独立した球団の集まりで、独自に契約した選手をメジャー球団へ売ったり、マイナーリーグ・ドラフトでの指名料で利益を得ていた。だが、1920年代、当時カーディナルスのGMだったリッキーは、マイナー球団を傘下に収め、自らが契約した選手たちを預ける方法を考案。これによって親球団の方針に則った選手を育成し、不要になった選手は他球団へ売ることもできるようになった。現代の視点では当たり前に思えても、当時としては画期的な発想で、弱小球団だったカーディナルスは数年のうちにメジャーきっての強豪となり、その利点を認識した他球団も後を追った。

 その後、ドジャースGMへ転身したリッキーは、今度は当時メジャーから締め出されていた黒人選手に目をつける。46年にジャッキー・ロビンソンと契約したのはあまりにも有名で、他球団に先駆け有能な黒人選手たちを獲得できたドジャースもまた、50年代以降に黄金時代を築いた。アイデア自体が卓抜だったことに加え、前例に囚われず批判を恐れないリッキーの決断力と勇気が、史上最も重要な2つのイノベーションを生み出したのだ。

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