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MLB

「野球が楽しいんです」渡米4年目を3Aで迎えた筒香嘉智のいま。“超ユーティリティ”としてメジャーを目指す<SLUGGER>

ナガオ勝司

2023.04.24

 当時、彼はこう言っている。

「レイズにいた時の打撃を映像とかデータで分析していくと、自分の形ではまったくバットを振れていなかった。コーチから『ボールまで最短でバットを強く振れ』みたいに、どちらかと言うとダウンスウィングでボールを捉えるみたいなことを求められたんですけど、それは本来の自分の打ち方じゃない。成績が出てなかったので、プラスになると思ってやりましたが、うまくいかなかった。そういうのはすべて、自分の責任だと思っています」

 すべては自分次第なのだと彼は主張する。が、コーチングは大事だ。

「ドジャースの時に、レイズの時とベイスターズの時の打撃を比較して見せられたんですが、『キミは日本で良かったからこっちにきたのに、今はこうなっている。そこを直していこう』とアドバイスされたのが、良くなるきっかけでしたね」

 ドジャース傘下の3Aオクラホマシティでは、8月の10試合で31打数12安打、2本塁打、11打点と打撃爆発。メジャーの出場枠が開かなかったため、自由契約になったものの、パイレーツとのメジャー契約につながった。パイレーツでは43試合に出場し、打率.268、8本塁打、25打点を記録し、その年のオフに1年400万ドルで再契約した。

 では、ふたたび不振(35試合で打率.177、2本塁打15打点)を極め、パイレーツを自由契約となり、ブルージェイズのマイナーでシーズンを終えた22年には、何が起こっていたのか?

 敵地セントルイスでの開幕戦シリーズでは、12打数4安打と前年の好調を維持していた。ところが、ホームに戻ってのシリーズで腰を傷め、そこから瞬く間に崩れていった。日本人選手に共通する「多少の怪我なら試合に出る」というプロ意識が逆風になった。「なるべく、腰に負担がかからない打ち方」「腰に無理をさせない動き」としているうちに本来の打撃を見失ったのだ。
 
「無意識に腰をかばう動きっていうのがどうしてもあった。ごまかしながらスウィングしているような感じで、痛みがあった時は身体が勝手に反応してしまっていた。IL(負傷者リスト)入りしてマイナーでリハビリして、腰は良くなったけど、怪我していた時の打ち方から元の打ち方に戻そうとしても、なかなか戻らなかったんです」

 そんな状態での復帰は逆風にしかならず、8月にパイレーツを自由契約となったのはある意味、とても現実的な結果だった。そのままなら、何の期待も持てないシーズンだったろうが、9月にブルージェイズ傘下の3Aバッファローで29試合に出場し、打率.265、5本塁打18打点と好結果を残したことが、オフのレンジャーズとのマイナー契約につながった。

 ところが、ここでも筒香に再三の苦難が訪れる。招待選手としてキャンプに参加し、開幕メジャーを狙うはずだったが、レンジャーズのビザ担当者のちょっとした不備が原因で、就労ビザが発給されたのはすでにキャンプが始まって2週間を過ぎた頃だった。

 筒香にとってのキャンプ初日は、3月4日。チームのキャンプが始まった2月20日から2週間近く、オープン戦開始から8試合目の日。どうにもならない出遅れを取り戻すため、チーム全体の練習が終わってからも、個人の打撃練習を行なった。コーチ留学中の北海道日本ハムの金子千尋コーチが打撃投手を務めるなど、完全別メニューが付け加えられた。

「契約した時は外野として、だったんですが、その後で他の選手(ロビー・グロスマン)と契約したので、とりあえず一塁もやってくれと言われました」(筒香)

 練習ではレフトと一塁を両方やったが、レンジャーズの首脳陣はどうも外野で起用する気はなさそうだった。実際、キャンプ合流から6日後、オープン戦に初出場した時から一塁として起用され、2安打3打点を記録した。
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