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プロ野球

「あの時はお袋にひどく叱られたよ…」クロマティが振り返る伝説の名場面5選【インタビューVol. 2】

2019.12.11

――その年の西武との日本シリーズでも記憶に残るシーンがありましたね。

 あの中継プレーだろ(注:第6戦、クロマティの緩慢な打球を処理を突いて、一塁走者の辻発彦/現西武監督が一気にホームへ生還した)?

 あの時、俺はカットオフが来るのを待っていたんだけど、見えなかったんだ。だから、打球を捕って内野に返球するのに時間がかかってしまったんだ」

――当時のライオンズの印象はどうでしたか?

 とにかく最高のチームだった。ベースランニング、守備、ピッチング、打撃すべてを兼ね備えていたよ。間違いなくジャイアンツより上だった。それに、秋山(幸二)はメジャーリーグでも通用していたと思う。吉村(禎章)、江川(卓)、遠藤(一彦)もね。

――あの場面は、あなたの守備に西武がうまく付け込んだということでしょうか?

 いや、そうじゃない。カットオフマンがいなかったんだ。俺が付け込まれたわけじゃない。
 
――首位打者とMVPを獲得した89年の活躍も印象深いですね。

 あの年は7月まで打率4割を超えていた。『スポーツ・イラストレイテッド』がわざわざ日本に取材に来たほどさ。ちょうどその時、離婚問題を抱えていて、ネガティブなことをポジティブに変えてやろうと思っていたんだ。その年はとにかく楽しもうと思っていた。打撃でも、ホームランを打とうと力んだりしないで相手のピッチングに合わせて打とうとしたんだ。日本でプレーするのも6年目になっていたしね。

――技術的に何かを変えたわけではなかったんですね?

 そうだね。もう俺には誰も速球を投げてこなくなっていた。だから、俺も日本人と同じように考えたんだ。

――そして、近鉄との日本シリーズでは0勝3敗から逆転して日本一になりました。

 3連敗した時、ミーティングを招集したんだ。そして、全員を指差してこう言った。「君たちはどうか知らないが、俺は絶対にあきらめない。もし負けても、俺はアメリカに帰って釣りを楽しめばいい。でも、君らは記者やメディアにずっと叩かれることになるんだぞ。絶対にあきらめちゃいけない。相手にみすみす勝利をあげてしまってはダメだ。負けるにしても、相手を苦しめてやろう」ってね。そうしたら、全員が立ち上がって「ハイ! 分かりました!」という感じだったよ。
 

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