……と言うことで、「追悼・長嶋茂雄さん」の第2弾を書かせていただいた。聞くところによれば、民放各局の長嶋さん追悼番組の視聴率はあまり芳しいものではなかったという。長嶋さんの事績は、令和の時代(ちなみに2025年は昭和100年の区切りの年に当たる)には消え去ってしまったのか? そうだとすれば、あまりに悲しいことだ。
日本のプロ野球人気を創り上げた人、日本人から最も愛された“ミスタープロ野球”は永遠に語り継がれなければならない人物なのだから。
最後にもう一つ、稀代のベースボール・プレーヤー長嶋茂雄の「長嶋茂雄たる決定的な一瞬」を紹介しておこう。
それは68年9月18日、甲子園球場での阪神タイガース戦。阪神の投手バッキーが3番・王の頭付近へ、ビーンボールと思える危険球を投げた。しかも、2球続けて。これには温和な王もさすがに怒って、数歩マウンドへ歩み寄った。
その瞬間、巨人ベンチから選手たちが一斉に飛び出し、マウンド上のバッキーに駆け寄った。先頭を走ったのは王に一本足打法を伝授した荒川博打撃コーチで、猛烈な突進を受けたバッキーが荒川コーチの顎に強烈なアッパーカットを見舞った。
これを皮切りに、両チーム入り乱れての大乱闘に発展。バッキーと荒川コーチが退場処分となり、甲子園は異様な雰囲気に包まれた。しかも、バッキーに代わってマウンドに上がった左腕の権藤正利の投げた初球が、王の頭部に直撃! 王が倒れたまま担架に乗せられて“退場”させられた後、打席に立った4番・長嶋は、何と初球を見事にレフトスタンドへ鮮やかなホームランを放ったのだ!
その時、長嶋さんはきっと、こう呟きながらベースを一周したに違いない。
「ね。ね。皆さん、乱闘などに興奮しないで、ベースボールをやりましょう! ね。そうしましょうよ……」
その瞬間をテレビで見ていた私は、こんなことができるのはやはり長嶋茂雄以外にいない! と確信したのだった。
文●玉木正之
【著者プロフィール】 たまき・まさゆき。1952年生まれ。東京大学教養学部中退。在学中から東京新聞、雑誌『GORO』『平凡パンチ』などで執筆を開始。日本で初めてスポーツライターを名乗る。現在の肩書きは、スポーツ文化評論家・音楽評論家。日本経済新聞や雑誌『ZAITEN』『スポーツゴジラ』等で執筆活動を続け、BSフジ『プライムニュース』等でコメンテーターとして出演。主な書籍は『スポーツは何か』(講談社現代新書)『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』(春陽堂)など。訳書にR・ホワイティング『和を以て日本となす』(角川文庫)ほか。
日本のプロ野球人気を創り上げた人、日本人から最も愛された“ミスタープロ野球”は永遠に語り継がれなければならない人物なのだから。
最後にもう一つ、稀代のベースボール・プレーヤー長嶋茂雄の「長嶋茂雄たる決定的な一瞬」を紹介しておこう。
それは68年9月18日、甲子園球場での阪神タイガース戦。阪神の投手バッキーが3番・王の頭付近へ、ビーンボールと思える危険球を投げた。しかも、2球続けて。これには温和な王もさすがに怒って、数歩マウンドへ歩み寄った。
その瞬間、巨人ベンチから選手たちが一斉に飛び出し、マウンド上のバッキーに駆け寄った。先頭を走ったのは王に一本足打法を伝授した荒川博打撃コーチで、猛烈な突進を受けたバッキーが荒川コーチの顎に強烈なアッパーカットを見舞った。
これを皮切りに、両チーム入り乱れての大乱闘に発展。バッキーと荒川コーチが退場処分となり、甲子園は異様な雰囲気に包まれた。しかも、バッキーに代わってマウンドに上がった左腕の権藤正利の投げた初球が、王の頭部に直撃! 王が倒れたまま担架に乗せられて“退場”させられた後、打席に立った4番・長嶋は、何と初球を見事にレフトスタンドへ鮮やかなホームランを放ったのだ!
その時、長嶋さんはきっと、こう呟きながらベースを一周したに違いない。
「ね。ね。皆さん、乱闘などに興奮しないで、ベースボールをやりましょう! ね。そうしましょうよ……」
その瞬間をテレビで見ていた私は、こんなことができるのはやはり長嶋茂雄以外にいない! と確信したのだった。
文●玉木正之
【著者プロフィール】 たまき・まさゆき。1952年生まれ。東京大学教養学部中退。在学中から東京新聞、雑誌『GORO』『平凡パンチ』などで執筆を開始。日本で初めてスポーツライターを名乗る。現在の肩書きは、スポーツ文化評論家・音楽評論家。日本経済新聞や雑誌『ZAITEN』『スポーツゴジラ』等で執筆活動を続け、BSフジ『プライムニュース』等でコメンテーターとして出演。主な書籍は『スポーツは何か』(講談社現代新書)『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』(春陽堂)など。訳書にR・ホワイティング『和を以て日本となす』(角川文庫)ほか。
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