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「彼は自信満々で近づいてきて、『僕のこと覚えてる?』と言った」コビーの高校時代のエピソードを元同僚が明かす<DUNKSHOOT>

ダンクシュート編集部

2025.09.03

のちにレイカーズでチームメイトとなるショウ(右)がコビー(左)の高校時代のエピソードを語った。(C)Getty Images

 コビー・ブライアントは20年間のNBAキャリアをロサンゼルス・レイカーズで過ごし、数々の偉業を成し遂げた。バスケットボールに真摯に向き合い、限界まで自らを追い込むストイックな姿勢で知られた彼だが、元チームメイトで、プロ入り前から親交があるブライアン・ショウは、高校時代から自信に満ち溢れていたと振り返る。

 ショウは1999~2003年にレイカーズでプレーし、コビーやシャキール・オニールとともにリーグ3連覇を経験。その後05~11年にはレイカーズのAC(アシスタントコーチ)としてコビーと再び共闘した。

 現在ロサンゼルス・クリッパーズでアシスタントコーチを務めるショウは、バイロン・スコットのポッドキャスト『Byron Scott's Fast Break』に出演。現役時代(1989、90年)はイタリアのチームでコビーの父ジョー・ブライアントとプレーしたショウは、アメリカに戻った後、若きコビーと再会した際のエピソードを語った。

「ジェリービーン(ジョー・ブライアントの愛称)が、1995年のオーランド・マジックのファイナルにコビーを連れてきたんだ。彼は高校2年生で、私とほぼ同じ身長(198cm)だった。

 彼は自信満々で近づいてきて、『僕のこと覚えてる?』と言った。私は『もちろん覚えてる。こうして向き合っているのが信じられない。今何年生?』と返した。すると彼は、『ちょうど高校2年を終えたところ。ハードシップを使って高校の最終学年を飛び級しようかとも考えてる』と言ったんだ。嘘じゃなく、本気だった」
 
 ハードシップルールとは、「経済状況、家族、学業成績、またはその他の事情」を理由に、残りの高校資格年数を放棄してNBAドラフトに参加することを認める特別措置。当時、コビーの家族は深刻な経済的困窮に直面していたとされる。

 ショウは続けて、「コビーのバスケットボールのことは当時全く知らなかったが、正直なところ『ここから失せろ!』と思ったよ。高校3年を経ずにNBAに入ると言うんだからね」と笑った。

「私はそれからコビーに注目した。高校3年間を終え、ドラフトへのアーリーエントリー(当時は18歳以上が有資格者)を宣言した。あのメンタリティーと雰囲気が、彼を急速に(マイケル)ジョーダン(のレベル)へと近づけていった。彼はコート内外でキラー(殺し屋の嗅覚・本能を備えた人物)だった。同じことを言い放った人物はコビー以外にはいなかったよ」

 最終的にコビーはローワー・メリオン高に戻り、3年間の学生生活を全うして1996年のドラフトでNBA入りしたが、また違った形でのプロ入りの可能性があったことをショウは明かしていた。

構成●ダンクシュート編集部

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