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NBA

ドクターJ、ドミニク、ジョーダン、カーター……多くのスターが伝説を残したスラムダンク・コンテストの歴史

大井成義

2020.02.15

87、88年大会で優勝を飾ったジョーダンは88年大会のフリースローラインからのダンクや、リバース・ウインドミル気味に決めるゆりかごダンクなど、独創的な技を多く生み出した。(C)Getty Images

87、88年大会で優勝を飾ったジョーダンは88年大会のフリースローラインからのダンクや、リバース・ウインドミル気味に決めるゆりかごダンクなど、独創的な技を多く生み出した。(C)Getty Images

■第一次黄金時代の掉尾を飾ったドミニクとジョーダンの頂上決戦

 オールスターウィークエンドに開催されるスラムダンク・コンテストは、その時代の最先端ダンクの見本市のようなものだ。まだ見ぬ一発に、そして想像を超えた一撃に期待を膨らませ、今年もテレビやパソコンにかじりつく。スラムダンクという一瞬の煌めきと爆発の芸術には、人々を惹き付けてやまない絶対的な魅力があるのだ。

 少々残念なのは、常にリーグ最高レベルのダンカーたちが出場するわけではないこと。例えばレブロン・ジェームズ。彼に至っては、ベテランとなった今なおリーグ屈指のパワーダンカーであり、練習や試合で超絶ダンクを披露しながら、これまで1度も出場したことがない。

 いっそのこと、オールスターゲームのファン投票と一緒にダンクコンテスト出場選手の投票も行ない、故障者以外は半強制的に出場させるぐらいのことをやってみたらどうだろうか。出なければ罰金。毎年同じ顔ぶれになってしまうと出る方も大変だろうから、マックス3回までとかに決めて……。
 
   ◆     ◆     ◆ 

 1976年1月27日、アメリカのメジャー・プロバスケットボールリーグで初となるスラムダンク・コンテストが、ABAオールスターゲームのハーフタイムに開催された。場所はナゲッツの本拠地、コロラド州デンバー。経営難に陥るチームが続出したABAは、このシーズンをもってNBAへ吸収合併されるため、ABAにおける最初で最後のダンクコンテストとなった。

 ABAがダンクコンテストを企画し、リーグ消滅の4か月前に行なった最大の理由は、ひとえに収益を確保するためだった。ABAにはドクターJ(ジュリアス・アービング)やデイビッド“スカイウォーカー”トンプソン、ジョージ“アイスマン”ガービンなど、NBAを凌駕する名ダンカーが揃っている。

 そんな彼らの驚異的なパフォーマンス見たさに、狙い通りチケットは完売した。また、オールスターゲームのハーフタイムに開催したのは、選手のスケジューリングや交通費、宿泊費の心配がいらず、元手をかけないで集客や視聴率アップが見込めるからだった。

 優勝候補の筆頭は、ABAの象徴にして最大のスターであり、史上最高のダンカーとして名を馳せていたドクターJ。対抗馬は地元ナゲッツの大物ルーキー、トンプソン。マイケル・ジョーダンが子どもの頃に憧れた選手だ。
 

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