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【コビー・ブライアント物語・Part2前編】シャックとのタッグで3連覇を達成も、確執でコンビは解散しチームも低迷へ

大井成義

2020.03.17

99-00シーズンはキャリア初の平均20点超え。守備でも抜群の存在感を放ち、史上最年少でオールディフェンシブ1stチームに選ばれた。(C)Getty Images

 キャリア2年目でオールスター出場、3年目には先発に定着と、コビー自身は着実に成長を続けていたが、レイカーズは優勝に手が届かずにいた。殻を破れず停滞していたチームを大きく変えたのは、名将フィル・ジャクソンだった。

■ジャクソンHCの就任によってチームは団結し、初優勝を経験

 現状を打破すべく首脳陣が打った最良の一手は、NBAを代表する名HC、フィル・ジャクソンの招聘だった。ジョーダンやデニス・ロッドマンといった強烈な個性を統率し、ブルズ時代の9年間で6度の優勝を成し遂げた名将中の名将。98年にブルズを離れると同時に、HC業からの引退を宣言していたが、レイカーズの熱意に応える形で現場に復帰することとなった。

 ジャクソンは選手の意識改革から着手した。自我を捨て、チームで戦うことの重要性を、シャックとコビーの自尊心を傷付けることなく巧みに植え付けていく。加えて、シャックとコビーの個の力に頼った単調な攻撃から脱却し、ブルズで磨きのかかったトライアングル・オフェンスを採用する。強くならないはずがなかった。

 迎えた99-00シーズン、ジャクソン効果はすぐさま表われ、レイカーズはレギュラーシーズンを67勝15敗という驚異的な成績で駆け抜ける。その数字は、それまでの半世紀に渡るレイカーズの歴史において、71-72シーズンにウエストやウィルト・チェンバレンが達成した69勝13敗に次ぐ好成績だった。

 選手個人のプレーにも変化は如実に表われた。コビーは平均22.5点と初の20点以上をマークし、史上最年少でのオールディフェンシブ1stチームにも選ばれた。一方のシャックも、全キャリアを通して最高となる平均29.7点を記録。自身初のレギュラーシーズンMVPにほぼ満票で選出される。
 
 プレーオフでは予想外の苦戦を強いられたが、接戦を勝ち切るだけの力が新生レイカーズには備わっていた。ブレイザーズとのカンファレンス決勝第7戦、試合終了間際にコビーがシャックへ放ったアリウープパスとシャックのワンハンドダンクは、ファイナル進出を決定付ける劇的なプレーであると同時に、シャック&コビーというNBA史に残る強力デュオの破壊力を象徴する名シーンとなっている。

 迎えたファイナルの相手は難敵ペイサーズ。第2戦、コビーはジャンプショットを打った後、ジェイレン・ローズの足に着地しコートに倒れ込む(後にローズは故意に足を出したと告白している)。左足首にひどい捻挫を負い、第3戦を欠場するも、次戦に強行出場。ファウルアウトしたシャックに代わってチームを牽引し勝利をもぎ取った。

 続く第5、6戦ではシャックが爆発、コビーとシャックはついに初優勝を獲得する。試合終了のブザーと同時に、コビーが真っ先に駆け寄って抱きついた相手は、シャックだった。

 コビーとシャックは、真逆と言っていいほど異なるパーソナリティを持っていた。楽天家で、大きな子どものようなシャックは、いつも仲間とふざけてばかり。加えて大の練習嫌い。片やコビーは、異常なまでに練習熱心で、ことバスケットボールに関しては常にシリアス。年齢に似つかわしくない、成熟した精神性を秘めている。NBAライターのリック・ビューカーは、当時の2人をこう表現している。「シャックはコビーに向かって『もっと明るくやれ』と言い、コビーはシャックに対し『もっと真面目にやれ』と言う」
 
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真逆の性格を持つシャックとの微妙な関係