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NBA

“カレッジ界のトップスター”に突き付けられた厳しい現実。欧州での挑戦を糧に、再度NBAのコートに立てるか?

小川由紀子

2020.03.18

2011年のNCAAトーナメントで全米を熱狂させたフレデッテ。シニアイヤーには、様々な賞を総なめにし、カレッジバスケ界のトップスターに君臨した。(C)Getty Images

2011年のNCAAトーナメントで全米を熱狂させたフレデッテ。シニアイヤーには、様々な賞を総なめにし、カレッジバスケ界のトップスターに君臨した。(C)Getty Images

 今季のNBAは“怪物”ザイオン・ウィリアムソンの出現が話題を呼んでいるが、NCAAトーナメントで全米を熱狂させ、当時、『カレッジバスケットボール史上最も熱狂を巻き起こした選手』と呼ばれたのが、ブリガムヤング大のスター選手、ジマー・フレデッテだ。

 本人いわく、「入学した頃は誰も僕のことを知らなかった」という小柄な青年は、1試合の得点(52)、シーズン総得点(1968)、在籍中の総得点(2599)など、同大のみならず、カンファレンスの記録を相次いで更新。

 シニアイヤーには、年間最優秀選手賞、ジョン・ウッデン賞、ネイスミス賞など名だたる賞を総なめにし、カレッジバスケ界のトップスターに君臨した。

「BYU(ブリガムヤング大)のジャスティン・ビーバー」と呼ばれた彼のもっとも象徴的な試合として記憶されているのは、2011年1月のサンディエゴ州大戦だ。それまでシーズン無敗だった相手との対戦は、『ESPN』も大々的に取り上げたビッグマッチだったが、フレデッテが43得点をマークしてチームを劇的な勝利へと導くと、試合後には、雪崩のようにファンが彼を取り囲んだ。

 同年のドラフトでは、ミルウォーキー・バックスから1巡目10位で指名を受け、サクラメント・キングスとシャーロット・ボブキャッツ(現ホーネッツ)の3チーム間トレードによりキングス入団が決まった。
 
 さらにその夏、同大学の人気チアリーダーと婚約。22歳のフレデッテは人生の絶頂期にあった。

『ジマーマニア』と呼ばれた彼の熱狂的なファンは、サクラメントでも彼に熱い声援を送った。ジマーの入団後は試合に足を運ぶ観客数は激増。背番号「7」のジャージーは飛ぶように売れ、ショップでもオンラインショップでも売り切れ状態となった。

 彼の魅力は、なんといってもその類まれなシュート力にあった。

 どのポジションからも、どんな体勢でも、ディフェンスをかいくぐってひらりと射抜く。

 フォームの基本は、シューティング練習でよく聞くところのBEEF(Balance、Eye、Elbow、Follow thru)であると彼自身が明かしているが、得点感覚を体に染み込ませたのは、それよりももっと前、子ども時代の体験にあった。

 4人兄弟の末っ子だったジマーには、無類のバスケ好きだった7歳年上の兄、T.Jがいた。T.Jは仲間とプレーする時には必ず弟もチームに入れた。しかし、まだ5、6歳だった弟の体格のハンデを考慮して、「ジマーがシュートを打ったときは、ブロックはしない」という特別ルールを設けたのだ。
 
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