1992年、当時ルイジアナ州大の3年生だったシャキール・オニールは、アーリーエントリーを宣言し鳴り物入りでオーランド・マジックに入団。今では若く才能ある選手がアーリーエントリーするのは当たり前となったが、1990年代初頭までは、大学卒業前にNBA入りを表明する選手は一握りしかいなかった。1984年のマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)以来、アーリーエントリーで超大物ルーキーがNBA入りしたのは久しぶりだったと言っていいだろう。
カレッジで文武両道を全うしてからプロへ進む。これがしきたりという風潮のようなものが当時はあった。しかしNBAの世界では、弱冠20歳を過ぎたばかりの選手に球団は何億円もの大金を費やし、そしてスポーツメーカーはバスケットボールシューズの販売促進のために数十億円規模の契約を交わす。将来有望なルーキーには、一夜にして大金が手元に転がり込んでくるのだ。この事実を"常識を超えている"と批判的な見方をした人が多くいたのも事実だった。
「シャックはジョーダンがNBAに入った時とはまったく状況が違った。ジョーダンは(ドラフトの段階では)"期待の星"で、プロ入り時点ではスーパースターになるかどうかまだクエスチョンだったからね。ところがシャックは、すでに216cm、130kgという規格外のボディを持ち、その上で走れて跳べて精神的にも強かった。実力と人気の勲章をぶら下げての入団だったが、その裏ではネガティブなことを囁かれる的にもなった」と当時『SLAM』の記者だったスクープ・ジャクソンは言う。
また、「今の若い選手たちは契約金のことばかりを気にして、NBAでプレーすることをビジネスだと割り切って考えすぎる」と話すのは、バッドボーイズ時代のデトロイト・ピストンズを2連覇に導いたアイザイア・トーマスだ。
「選手の年俸が跳ね上がり、NBAプレーヤーというアメリカンドリームの代名詞になった称号は、もちろんリーグを成功させる原動力になっている。しかし、私たちの時代は、マジック・ジョンソン(元ロサンゼルス・レイカーズ)もジョーダンも、バスケットボールが好きで、チャンピオンシップが欲しいからプレーした。お金は残した結果の後からついてくるものだった。今の選手の言い分は『これぐらいのお金を出してくれるんだったら、そのお金に見合ったプレーは約束するよ』と言っているかのように感じる」と、トーマスは苦言を呈している。
カレッジで文武両道を全うしてからプロへ進む。これがしきたりという風潮のようなものが当時はあった。しかしNBAの世界では、弱冠20歳を過ぎたばかりの選手に球団は何億円もの大金を費やし、そしてスポーツメーカーはバスケットボールシューズの販売促進のために数十億円規模の契約を交わす。将来有望なルーキーには、一夜にして大金が手元に転がり込んでくるのだ。この事実を"常識を超えている"と批判的な見方をした人が多くいたのも事実だった。
「シャックはジョーダンがNBAに入った時とはまったく状況が違った。ジョーダンは(ドラフトの段階では)"期待の星"で、プロ入り時点ではスーパースターになるかどうかまだクエスチョンだったからね。ところがシャックは、すでに216cm、130kgという規格外のボディを持ち、その上で走れて跳べて精神的にも強かった。実力と人気の勲章をぶら下げての入団だったが、その裏ではネガティブなことを囁かれる的にもなった」と当時『SLAM』の記者だったスクープ・ジャクソンは言う。
また、「今の若い選手たちは契約金のことばかりを気にして、NBAでプレーすることをビジネスだと割り切って考えすぎる」と話すのは、バッドボーイズ時代のデトロイト・ピストンズを2連覇に導いたアイザイア・トーマスだ。
「選手の年俸が跳ね上がり、NBAプレーヤーというアメリカンドリームの代名詞になった称号は、もちろんリーグを成功させる原動力になっている。しかし、私たちの時代は、マジック・ジョンソン(元ロサンゼルス・レイカーズ)もジョーダンも、バスケットボールが好きで、チャンピオンシップが欲しいからプレーした。お金は残した結果の後からついてくるものだった。今の選手の言い分は『これぐらいのお金を出してくれるんだったら、そのお金に見合ったプレーは約束するよ』と言っているかのように感じる」と、トーマスは苦言を呈している。