NBA

黄金時代の仲間とともに古巣キングス再興へ。2000年代を代表する名シューター、ストヤコビッチの第2のキャリアに迫る

小川由紀子

2020.04.06

2000年代前半に3度のオールスターに選ばれるなど、キングスの主軸を担ったストヤコビッチ。現在はフロントの一員として古巣の再建に尽力する。(C)Getty Images

 世界一の競技人口を誇るバスケットボール。その最高峰リーグであるNBAには世界中から優れたプレーヤーが集結し、特に2000年代以降は外国籍選手の数も飛躍的に増加した。では、NBAで活躍した欧州プレーヤーたちはその後、どのようなキャリアをたどっているのか。第一線を退いた彼らの今をシリーズで紹介しよう。

 現役時代、オールスターに3度選出され、3ポイントコンテストでは2度の優勝。ヨーロッパ人選手として初めてオールスター・ウィークエンドの優勝者となったのが、今回紹介するセルビア出身のプレドラグ・ストヤコビッチだ。彼は19歳になった直後の1996年6月のNBAドラフトで、サクラメント・キングスから1巡目14位で指名された。ちなみにこの年のドラフト1位はアレン・アイバーソン。彼の前後、13位はコビー・ブライアント、15位はスティーブ・ナッシュという、稀に見る豪華な年だった。

 当時所属していたギリシャリーグのPAOKテッサロニキとの契約の問題もあり、NBA入りは2年遅れたが、デビューイヤーとなった1998-99シーズンから2005-06シーズンは、ちょうどキングスが8年連続でプレーオフ進出を果たした黄金時代と重なる。2002年には、カンファレンス決勝でレイカーズと7戦に及ぶ激闘を繰り広げるなど、ファイナル進出まであと一歩のところまで迫った。
 
 ペジャの愛称で親しまれたストヤコビッチは、当代随一のピュアシューターとして鳴らした。L字に曲げた右腕が振り子のように動く独特なフォームかつ、クイックリリースのシュートは、美しい弧を描き、何度もネットを揺らした。またパスセンスも非凡で、02年のマブズ戦で披露した驚異の長距離ビハインド・ザ・バックパスは、NBA史に残る名アシストとして語り継がれている。

 キングス退団後はインディアナ・ペイサーズ、ニューオリンズ・ホーネッツ(現ペリカンズ)、トロント・ラプターズと渡り歩き、ホーネッツ時代のある試合では、自陣の最初の20ポイントを1人で決めるというNBA記録も打ち立てている。そして2011年1月に入団したダラス・マーベリックスで球団初優勝に貢献し、NBAでの13年間のキャリアを有終の美で飾った。キャリア通算1万3647得点、3ポイント成功1760本という素晴らしい数字とともに、彼がつけていた背番号「16」はキングスの永久欠番になっている。
 
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かつてのチームメイトであり、同じセルビア出身の先輩に誘われ古巣に復帰