シカゴ・ブルズが最後に優勝した1997-98シーズンの密着ドキュメンタリーシリーズ『ザ・ラストダンス』(全10話)の放映が始まり、マイケル・ジョーダンをはじめとした当時の優勝メンバーが改めて脚光を浴びている。"神様"ジョーダンの相棒を務め、全6回の優勝に貢献したスコッティ・ピッペンのキャリアを、前後編で振り返る。
◆ ◆ ◆
1991~93年に3連覇を果たしてジョーダンが現役を引退すると、いよいよピッペンに主役の座が回ってきた。"初主演"のシーズンはキャリアハイの平均22.0点、8.7リバウンド。オールスターでは29得点をあげてMVPに選ばれ、オールNBA1stチームにも初選出。ジョーダンが去って苦戦を予想されたブルズが、前年より2勝少ないだけの55勝もできたのはピッペンの活躍によるものだった。
ところが、素晴らしいシーズンの最後に大きな落とし穴が待っていた。ニューヨーク・ニックスとのカンファレンス準決勝第3戦。第4クォーター残り1.8秒、同点の場面で最後のシュートを打つ役割が、自分でなくトニー・クーコッチに与えられたことに腹を立て、ピッペンはタイムアウト終了後もコートに戻ることを拒否した。
「彼があんなことをするなんて、とても信じられない」。センターのビル・カートライトの言葉が、チームの気持ちを代弁していた。
ジョーダンのいないチームを背負うのは自分だとの自負とプライドが傷つけられたこともあった。だがそれだけではなく、クーコッチが自分より劣る選手なのに高年俸を手にしていることなどで、ピッペンはクーコッチに対して複雑な感情を抱いていた。このプレーの直前、クーコッチの判断ミスでピッペンにボールを持たせる作戦が失敗していたこともあった。そうした様々な要因の積み重ねが引き起こした事件だった。
それでも、どのような事情であれ大事な試合の重要な場面で、コーチの命令に従わないようではチームリーダーの資格はない。試合後にピッペンは謝罪し、チームメイトたちはそれを受け入れたものの「自分勝手で扱いにくい選手」との、それまでとは相反するイメージが植え付けられてしまった。
■主役級の輝きを放った究極の"最優秀助演俳優"
ピッペンの名誉を回復するきっかけを与えたのは、やはりジョーダンだった。翌94-95シーズン終盤、約2年のブランクを経て突然ジョーダンがカムバック。ナンバー2の定位置で、ピッペンは自分を取り戻した。
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1991~93年に3連覇を果たしてジョーダンが現役を引退すると、いよいよピッペンに主役の座が回ってきた。"初主演"のシーズンはキャリアハイの平均22.0点、8.7リバウンド。オールスターでは29得点をあげてMVPに選ばれ、オールNBA1stチームにも初選出。ジョーダンが去って苦戦を予想されたブルズが、前年より2勝少ないだけの55勝もできたのはピッペンの活躍によるものだった。
ところが、素晴らしいシーズンの最後に大きな落とし穴が待っていた。ニューヨーク・ニックスとのカンファレンス準決勝第3戦。第4クォーター残り1.8秒、同点の場面で最後のシュートを打つ役割が、自分でなくトニー・クーコッチに与えられたことに腹を立て、ピッペンはタイムアウト終了後もコートに戻ることを拒否した。
「彼があんなことをするなんて、とても信じられない」。センターのビル・カートライトの言葉が、チームの気持ちを代弁していた。
ジョーダンのいないチームを背負うのは自分だとの自負とプライドが傷つけられたこともあった。だがそれだけではなく、クーコッチが自分より劣る選手なのに高年俸を手にしていることなどで、ピッペンはクーコッチに対して複雑な感情を抱いていた。このプレーの直前、クーコッチの判断ミスでピッペンにボールを持たせる作戦が失敗していたこともあった。そうした様々な要因の積み重ねが引き起こした事件だった。
それでも、どのような事情であれ大事な試合の重要な場面で、コーチの命令に従わないようではチームリーダーの資格はない。試合後にピッペンは謝罪し、チームメイトたちはそれを受け入れたものの「自分勝手で扱いにくい選手」との、それまでとは相反するイメージが植え付けられてしまった。
■主役級の輝きを放った究極の"最優秀助演俳優"
ピッペンの名誉を回復するきっかけを与えたのは、やはりジョーダンだった。翌94-95シーズン終盤、約2年のブランクを経て突然ジョーダンがカムバック。ナンバー2の定位置で、ピッペンは自分を取り戻した。