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名センターのマローンのほか、キッド、ペイトンら歴戦の名司令塔も多く背負った背番号2。“現役最高の2番”レナードは欠番として名を刻めるか?【NBA背番号外伝】

出野哲也

2020.05.27

過去にはマローン(左上)、キッド(左下)らが背番号2を着用。現役のレナード(右)は実績十分だが、これまでの経緯から欠番化されるかは微妙だ。(C)Getty Images

 7球団で永久欠番となっている背番号2だが、キャリアを通じてこのナンバーを着け続けた真の名選手は少ない。そもそも長い間、NBAには2番を着用した選手そのものがいなかったのだ。

 これは、アマチュアでは背番号1~3を着けることができないのが理由だろう。最初に2番でプレーしたのは、NBAの前身であるBAAのセントルイス・ボマーズ(現在は消滅)に在籍したベラス・スモーリー。ジャンプショットの使い手で、1948年のみ2番を纏っていた。

 その後、1972年にノーム・ヴァン・ライアー(元シカゴ・ブルズほか)が着用するまで、2番の選手は誰1人現われなかった。そのライアーは、3度オールディフェンシブ1stチームに選ばれた守備の名手。1974、76、77年とオールスターにも3度選出されている。
 
 1976年にミルウォーキー・バックスのジュニア・ブリッジマンが着け始めてからは、NBAでも徐々に一般的な番号になる。正確なシュートで活躍したブリッジマンは、バックスの球団記録となる711試合に出場。1988年には、選手として初めて2番が欠番化された。

 1980年代最高のスコアラーの1人であるアレックス・イングリッシュは、デンバー・ナゲッツでこの番号が欠番に。通算2万5613点は引退時点で歴代7位。バックスに在籍したプロ入り当時はブリッジマンがいたため23番、のちに22番に変更しプレーしていた。

 サクラメント・キングスの欠番になっているミッチ・リッチモンドもシューター型のプレーヤーで、その実力はマイケル・ジョーダン(元ブルズほか)にも認められたほど。ルーキーイヤーから10年連続で平均20点超えを記録し、1995年のオールスターではMVPに輝いた。

 2番史上最大の大物はモーゼス・マローンだろう。シーズンMVPを3度獲得した名センターで、着用期間は8年と短いが、1983年にフィラデルフィア・セブンティシクサーズを優勝に導き同球団の欠番となった。さらにヒューストン・ロケッツ時代の24番も欠番となっている。
 
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リーグ史に名を残す名司令塔たちが多く着用