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NBA

名センターのマローンのほか、キッド、ペイトンら歴戦の名司令塔も多く背負った背番号2。“現役最高の2番”レナードは欠番として名を刻めるか?【NBA背番号外伝】

出野哲也

2020.05.27

 マリーク・シーリーはほかの欠番選手ほどの実績はないが、ミネソタ・ティンバーウルブズ時代に交通事故で亡くなったことで欠番に。ケビン・ガーネットは少年時代にシーリーに憧れており、その理由からブルックリン・ネッツ在籍時は2番をつけていた。そのガーネットと当時チームメイトだったジョー・ジョンソンは、彼とは逆にネッツ加入前のフェニックス・サンズ、アトランタ・ホークス時代に2番を着け、6度オールスターに選ばれている。

 また、欠番にはなっていないが、引退した選手ではジョー・バリー・キャロル(元ゴールデンステイト・ウォリアーズほか)、ラリー・ジョンソン(元シャーロット・ホーネッツほか)、ステイシー・オーグモン(元ホークスほか)らも長く2番で親しまれた。

 そのほか、2人の名ヘッドコーチが、実際にこの番号でプレーした経験はなくとも欠番扱いになっている。ボストン・セルティックスの黄金時代を築き上げたレッド・アワーバックと、“バッドボーイズ”期のデトロイト・ピストンズを指揮したチャック・デイリーだ。

 アワーバックが欠番となったのは、ブリッジマンよりも早い1985年。2番が選ばれたのは“オーナーのウォルター・ブラウン(1番で欠番になっている)に次ぐNo.2だから”とのことだった。デイリーの方の理由は“ピストンズを2度の優勝に導いたから”だそうだ。
 
 背番号2は多くの名ポイントガード(PG)が着けていた番号でもある。ジェイソン・キッドは19年のキャリアのうち、後期ダラス・マーベリックス時代(2008~12年)にこの番号に袖を通し、2009年に優勝を経験。デレック・フィッシャーは1996~2004年、2007~12年のロサンゼルス・レイカーズ在籍時にいずれも2番を着け、5度のリーグ制覇を成し遂げた。

 華麗なパスで観客を魅了したジェイソン・ウィリアムズも、メンフィス・グリズリーズ時代に2番を着用。PG史上最高クラスのディフェンス力を誇ったゲイリー・ペイトンは、シアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)でのプロ入り最初の2シーズンだけ2番を背負っている。ネイト・ロビンソンがニューヨーク・ニックス、ウォリアーズ時代にこの番号を着けたのは、フットボールの名選手ディオン・サンダース(フロリダ州大時代に2番を着用)に憧れてのことだった。
 
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