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NBA

ジョーダンに認めさせ、ブルズの前期3連覇に貢献したカートライト。引退後は指導者として日本でも活躍【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.05.30

ジョーダンに実力を認めさせ、ブルズの前期3連覇に大きく貢献したカートライト(写真)。(C)Getty Images

ジョーダンに実力を認めさせ、ブルズの前期3連覇に大きく貢献したカートライト(写真)。(C)Getty Images

■ブルズ加入を快く思わなかったジョーダンに実力を認めさせる

 徐々に下降する成績や故障の多さなどにより、ビル・カートライトに対する周囲の風当たりは徐々に強くなり始めていた。そんななか、1985年のドラフト1位指名でニューヨーク・ニックスにパトリック・ユーイングが入団する。2人の強力なツインタワーをファンは期待したが、両選手とも生粋のセンターとあってほとんど機能できず。カートライトは1987-88シーズンから控えに回り、オフにはチャールズ・オークレーとの交換でシカゴ・ブルズへと放出された。

 当時、オークリーはブルズのインサイドの要で、“マイケル・ジョーダンの用心棒”と言われた好選手だった。しかし、ブルズにはオークリーとポジションの被る22歳のホーレス・グラントがいたため、このトレードを首脳陣も了承。両軍にとって勝算のある取引だったが、24歳のリバウンダーと31歳の故障持ちセンターのトレードには、批判的な声も多かったという。

 そして誰よりも不満を持っていたのは、オークリーと親しかったジョーダンだ。カートライトを大して評価していなかったジョーダンは、このトレードが間違いだったことを証明しようとする。チームメイトにはカートライトにボールを回さないように指示し、練習ではわざと強めのパスを送り「あいつはボールすらまともに取れない」と嘲った。
 
 こうした仕打ちをずっと我慢してきたカートライトだったが、シーズン終盤になってついに堪忍袋の緒が切れる。彼はジョーダンを呼びつけ、こう言い放った。

「俺についていろんなことを言っているようだな。今後、俺にボールを回すななどと周りの連中に指示したら、二度とバスケットボールができないようにしてやるぞ」

 後年になって、ジョーダンは次のように語っている。

「選手としても、人間としても、私が最も間違った評価を下していたのはカートライトだった」

 1989年のプレーオフで、カートライトはその実力を見せつける。古巣ニックスと対戦したカンファレンス準決勝で、ユーイングを苦しめ勝利に貢献。ニューヨークのメディアは、「我々は決断を誤った」と嘆き、ジョーダンは「一緒にプレーしたなかで、彼は最高のセンターだ」と絶賛した。
 
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引退後はHC業に転身し、日本のチームも指揮

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