NBA

ストックトンやハワードが背負った12番の系譜。ジョーダンも1試合限定で着用【NBA背番号外伝】

出野哲也

2020.06.18

かつてはストックトン(左)をはじめとするPGが背負っていた12番。現在はハワード(右)のようなビッグマンも付けている。(C)Getty Images

 現代のNBAでは、背番号12はビッグマンのイメージが強い。最優秀守備選手賞3度のドワイト・ハワードは、プロ入りから8年間を過ごしたオーランド・マジック、その後ロサンゼルス・レイカーズ、ヒューストン・ロケッツ、シャーロット・ホーネッツで12番。その理由は3つあって、まず12月生まれであること、父親がかつてこの番号でプレーしていたこと、そしてもうひとつが、憧れの選手だったケビン・ガーネットのミネソタ・ティンバーウルブズ時代の背番号21を逆にした、というものだ。7年ぶりにレイカーズに戻った今季は12ではなく39番をつけている。

 ラマーカス・オルドリッジはテキサス大では23番だったが、ポートランド・トレイルブレイザーズ入団時にダリアス・マイルズがつけていたため、高校まで背負っていた12番を選択。サンアントニオ・スパーズへ移籍してからもこの番号を継続している。

 オクラホマシティ・サンダーの守備の要であるスティーブン・アダムスも最初からずっと12番。ミルウォーキー・バックスなどでは6番だったアンドリュー・ボーガットは、ゴールデンステイト・ウォリアーズ時代は6×2で12番を背負っていた。一昔前では、ヨーロッパ出身の選手として初となる平均ダブルダブルをマークしたブラデ・ディバッツも、レイカーズとホーネッツ在籍時に12番だった。
 
 オールドファンにとっては「12番=ガード選手」というイメージが強いはずだが、その代表がジョン・ストックトンだろう。通算アシスト、スティールの両部門で史上1位に輝く名司令塔は、ゴンザガ大からユタ・ジャズ入団後も一貫して背番号12。卒業後、20年間ゴンザガ大では12番の着用選手がおらず、事実上の欠番扱いだったが、2004年に正式に認定され、同年秋にはジャズでも欠番になっている。

 PGの12番では、現役では今季の新人王レースをリードしているジャ・モラント(メンフィス・グリズリーズ)がすぐに思い浮かぶ。中学校からずっと12番だったモラントは、今季グリズリーズに入団すると、昨季の12番だった渡辺雄太から馴染みの番号を譲ってもらい感謝していた(渡辺は18番に変更)。現役ではジョー(ブルックリン・ネッツ)とトバイアス(フィラデルフィア・セブンティシクサーズ)の両ハリスも12番の好選手だ。
 2000年代では守備職人のブルース・ボウエンがこの番号をつけていた。身体能力は人並みながら、頭脳プレーでその不足分を補っていた点はストックトンと共通している。ボウエンはエースキラーとしてスパーズの3度の優勝に貢献。引退からわずか3年で同球団の永久欠番になった。