1946年の創設から74年。その長い歴史の中でNBAは何人ものスーパースターを輩出し、ファンを楽しませてきた。では、各チームの「歴代ベスト5」を選出したら、一体どんな選手が並ぶのか。『THE DIGEST』では、NBAに精通する識者に依頼し、全30チームのベストメンバーを選んでもらった。今回はリーグ歴代最多17回の優勝を誇る東の名門、「ボストン・セルティックス」編をお届けしよう。
【ポイントガード】
ボブ・クージー
1928年8月9日生。185cm・79kg。
在籍期間:13シーズン(1950~63年)
成績:917試合、平均18.5点、5.2リバウンド、7.6アシスト
1950年にNBA入りし、以降13シーズンにわたってセルティックス一筋で活躍した名司令塔。卓越したボールハンドラー、秀逸なパサーであり、13年間で平均18.5点、7.6アシストという優れた数字を残した。アシスト王8度(1953~60年)、オールスター13度(51~63年)、MVP1度(57年)という輝かしい実績に加え、計6度(57、59~63年)の優勝に大きく貢献したことでも評価は高い。
このように最高級のスタッツを残し、多くの勲章を手に入れただけでなく、クージーはその華やかなプレースタイルでも語り継がれる。“ノールックパスを初めて実戦で行なった選手”とも呼ばれ、現代のファンが今そのプレーを見ても、それほど違和感を感じないのではないか。後世のPGに多大な影響を与えたプレーメーカーとして、その名は歴史に刻まれていくに違いない。
【シューティングガード】
ジョン・ハブリチェック
1940年4月8日生。196cm・92kg。
在籍期間:16シーズン(1962~78年)
成績:1270試合、平均20.8点、6.3リバウンド、4.8アシスト
“アーミーナイフ(十徳ナイフ)”と称されるほどの多才さが魅力で、1960~70年代にかけての黄金期を支えた。16シーズンにわたってセルティックス に在籍し、通算得点、出場試合数は歴代1位。特にキャリア前半はシックスマンだったにもかかわらず、すべてのシーズンで1000得点以上をあげる史上初のプレーヤーになった安定感は見事としか言いようがない。ファイナルには8度出場し、すべてで優勝という勝負強さも特筆されてしかるべきだろう。
なかでも印象深いのは、フィラデルフィア・76ersと対戦した1965年のイースタン・カンファレンス・ファイナル第7戦で決めた“ザ・スティール”だ。ファイナル進出をかけた最終戦、残り5秒でセルティックスが110-109とわずか1点をリード。ここでハブリチェックが相手のインバウンドパスに飛びつき、味方にティップ。セルティックスの勝利を決定づけ、その後の7連覇につなげた(翌年も優勝して8連覇を達成)。アナウンサーのジョニー・モーストの「Havlicek stole the ball!」という名実況とともに、彼の機転、ハッスル、そして勝負強さを象徴するワンプレーとして語り継がれている。
【ポイントガード】
ボブ・クージー
1928年8月9日生。185cm・79kg。
在籍期間:13シーズン(1950~63年)
成績:917試合、平均18.5点、5.2リバウンド、7.6アシスト
1950年にNBA入りし、以降13シーズンにわたってセルティックス一筋で活躍した名司令塔。卓越したボールハンドラー、秀逸なパサーであり、13年間で平均18.5点、7.6アシストという優れた数字を残した。アシスト王8度(1953~60年)、オールスター13度(51~63年)、MVP1度(57年)という輝かしい実績に加え、計6度(57、59~63年)の優勝に大きく貢献したことでも評価は高い。
このように最高級のスタッツを残し、多くの勲章を手に入れただけでなく、クージーはその華やかなプレースタイルでも語り継がれる。“ノールックパスを初めて実戦で行なった選手”とも呼ばれ、現代のファンが今そのプレーを見ても、それほど違和感を感じないのではないか。後世のPGに多大な影響を与えたプレーメーカーとして、その名は歴史に刻まれていくに違いない。
【シューティングガード】
ジョン・ハブリチェック
1940年4月8日生。196cm・92kg。
在籍期間:16シーズン(1962~78年)
成績:1270試合、平均20.8点、6.3リバウンド、4.8アシスト
“アーミーナイフ(十徳ナイフ)”と称されるほどの多才さが魅力で、1960~70年代にかけての黄金期を支えた。16シーズンにわたってセルティックス に在籍し、通算得点、出場試合数は歴代1位。特にキャリア前半はシックスマンだったにもかかわらず、すべてのシーズンで1000得点以上をあげる史上初のプレーヤーになった安定感は見事としか言いようがない。ファイナルには8度出場し、すべてで優勝という勝負強さも特筆されてしかるべきだろう。
なかでも印象深いのは、フィラデルフィア・76ersと対戦した1965年のイースタン・カンファレンス・ファイナル第7戦で決めた“ザ・スティール”だ。ファイナル進出をかけた最終戦、残り5秒でセルティックスが110-109とわずか1点をリード。ここでハブリチェックが相手のインバウンドパスに飛びつき、味方にティップ。セルティックスの勝利を決定づけ、その後の7連覇につなげた(翌年も優勝して8連覇を達成)。アナウンサーのジョニー・モーストの「Havlicek stole the ball!」という名実況とともに、彼の機転、ハッスル、そして勝負強さを象徴するワンプレーとして語り継がれている。