専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
NBA

“待たされた制作”、“引き算のデザイン”…。ピッペンのシグネチャーシューズ誕生秘話

北舘洋一郎

2020.06.27

アトランタ五輪でも履いたピッペンのシグネチャーモデル。“AIR”は、文字のインパクト大だ。(C)Getty Images

アトランタ五輪でも履いたピッペンのシグネチャーモデル。“AIR”は、文字のインパクト大だ。(C)Getty Images

 スコッティ・ピッペンが愛用したナイキのシューズ『エア・モアアップテンポ』が、日本でも6月23日に発売。『ザ・ラストダンス』がNetflixで放映され、シカゴ・ブルズの黄金時代に再度注目が集まったのもいい宣伝になり、その人気は上々だ。

 今回のモデルには、シューズ名の後に彼の名が明記されている。1995-96シーズンと1996年のアトランタ五輪の時に、広告塔としてピッペンが履いていたことへのリスペクトがあったようだ。

「1990年代はシグネチャーシューズの戦国時代と言ってもいいほど、スタープレーヤーはみんなスポーツブランドと契約して自分のモデルを履いていたよ」

 そう語るのは『エアフォース1』の生みの親で、ナイキのレジェンドデザイナーであるブルース・キルゴアだ。そして彼は、ピッペンのシグネチャーモデルである『エア・ピッペン』がリリースされるタイミングは、彼のバスケットボールキャリアとのバランスを考えればかなり遅かったとも話している。
 
「マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)の陰に隠れてはいたが、ナイキはずっとピッペンを大物選手として扱い、良い友好関係を築いていた。シグネチャーシューズを作って履いてもらうのは、ナイキからすれば容易いことだ。だけど売上につなげて契約選手に十分な報酬を還元し、かつファンからも愛されるシューズにしなければいけないという点において、シグネチャーモデルを成功させるには相当多くの労力と様々な協力を得なければならなかったんだ」

「ナイキと契約していながらも、自身のシグネチャーシューズの発売を待たされていた選手たちは、大半がほかのブランドに移っていった。ピッペンと同世代では、ショーン・ケンプ(元シアトル・スーパーソニックス/現オクラホマシティ・サンダーほか)がリーボックへと移ったね。しかし、ピッペンはナイキ一筋だと言ってくれていた。また『ナイキを履くのをやめたらマイケル(ジョーダン)に何を言われるかわからない』とジョークまで言っていたくらいだよ」
 

DAZNなら「プロ野球」「Jリーグ」「CL」「F1」「WTAツアー」が見放題!充実のコンテンツを確認できる1か月無料体験はこちらから

NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号