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NBA

スポーツ無名校における“例外”的存在。ウェイド、バトラーらを輩出したマーケット大の歴史【名門カレッジ史】

出野哲也

2020.05.04

マーケット大はこれまでウェイド(左)、バトラー(右上)といったスター選手に加え、指揮官として成功を収めているリバース(右下)らを輩出している。(C)Getty Images

マーケット大はこれまでウェイド(左)、バトラー(右上)といったスター選手に加え、指揮官として成功を収めているリバース(右下)らを輩出している。(C)Getty Images

 ウィスコンシン州ミルウォーキーにキャンパスがあるマーケット大は、スポーツで名が知られている大学とは言い難い。野球部は存在せず、フットボール部も遠い昔に廃部となっている。

 しかし、バスケットボール部だけは例外だ。1977年にNCAAトーナメント(以下トーナメント)を制したほか、近年ではドゥエイン・ウェイドをはじめ、数多くの有力選手をNBAに送り出している。また現在はそうでもないものの、昔から奇抜なデザインのユニフォームを採用してきたことでも、カレッジバスケファンにはお馴染みだ。とりわけ1977年の“ベビービブ(よだれかけ)”風デザインや、1970年の“バンブルビー(マルハナバチ)”は悪評が高い。

 現在のニックネームはゴールデンイーグルスだが、この愛称になったのは1994年と比較的最近で、それまではウォリアーズやヒルトッパーズ、チームカラーからブルーアンドゴールドなどと呼ばれていた。創部は1916年。1952~53年には、のちにトライアングル・オフェンスの導師として有名になるテックス・ウィンターがヘッドコーチ(HC)を務めた。初めてトーナメントに出場した1955年には、準々決勝まで進む大健闘を演じている。
 
 本格的にチームが強化されたのは1964年、アル・マグワイアが指揮官に就任してから。1950年代にニューヨーク・ニックスで活躍した名ポイントガード(PG)のディックの弟で、自身もニックスの選手だったマグワイアの下、マーケット大はトーナメントの常連校となる。1974年は決勝まで駒を進めるも、ノースカロライナ州大に敗れ、マグワイアは決勝戦で退場処分を食らった初のHCとなってしまった。

 1976年はレギュラーシーズン1敗のみで、今でもマーケット大史上最強のチームと呼ばれているが、トーナメントでは準々決勝でインディアナ大に苦杯を喫する。だが翌1977年は、準決勝でジェローム・ホワイトヘッド(元ゴールデンステイト・ウォリアーズほか)がブザービーターを決めると、決勝戦ではブッチ・リー(元クリーブランド・キャバリアーズほか)が19得点をあげる活躍で、格上のノースカロライナ大を下し全米制覇を成し遂げた。
 
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