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NBA

“明確な役割”と“自身への信頼”。NBA挑戦が失敗に終わったヤン・ヴェセリーに足りなかったもの

小川由紀子

2020.07.11

欧州でMVPを受賞するまでに成長したヴェセリー。はたして再びNBAに戻る日は来るのか。(C)Getty Images

欧州でMVPを受賞するまでに成長したヴェセリー。はたして再びNBAに戻る日は来るのか。(C)Getty Images

 世界一の競技人口を誇るバスケットボール。その最高峰リーグであるNBAには世界中から優れたプレーヤーが集結し、特に2000年代以降は外国籍選手の数も飛躍的に増加した。しかし、その中には己の実力を発揮しきれず、数年でアメリカを後にしたプレーヤーも少なくない。NBAに挑み、再び欧州の舞台へ舞い戻った挑戦者たちを、シリーズで紹介しよう。

     ◆     ◆     ◆

 驚異的な滞空時間から繰り出されるブロックやダンクで“チェコのヘリコプター”の異名をとるヤン・ヴェセリー。昨年のワールドカップは故障により欠場したが、チェコと同組だった日本代表のなかには、彼との対戦を楽しみにしていた選手もいただろう。

 ヴェセリーは2011年のドラフトで、ワシントン・ウィザーズから1巡目6位で指名を受ける。欧州出身の選手には、ドラフト後さらに数年ヨーロッパでプレー経験を積んでからNBAに挑戦する者が少なくないが、すでに欧州で4年のプロキャリアを積んでいた21歳の新星は、このタイミングでの入団を決めた。
 
 211cmの長身ながらスピードもあり、高いアスレティック能力がヴェセリーの最大の魅力。当時のウィザーズは前年のドラ1ポイントガード、ジョン・ウォールを中心としたチームを構築中だったから、ウォールとヴェセリーを組ませた速攻メインのオフェンスシステムは、魅力的なオプションになるはずだった。

 しかし、運悪く2011-12シーズンはロックアウトで開幕が遅れたのに加え、序盤は出場機会が与えられず、デビュー戦は年が明けた1月8日まで持ち越されることに。24日には2勝15敗と大きく負け越していた責任を取ってフリップ・サンダース・ヘッドコーチ(HC)が解任されると、後任のランディー・ウィットマンHCの下ではコンスタントに出番を獲得。NBA挑戦1年目は57試合(うち20試合で先発)に出場し、平均18.9分のプレータイムで4.7点と、ルーキーイヤーとしてはまずまずの数字をあげた。

 だが、2年目は出場時間が伸びるどころか逆に減少し、キャリア3年目の2014年2月にデンバー・ナゲッツへと放出される。2013-14シーズンの終了をもって、欧州に復帰することになった。
 

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