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NBA

【NBAデュオ列伝】カーター&T-MACーー親戚同士の2人が歩んだスター街道と訪れた別れ|前編

出野哲也

2020.07.23

義理の従兄弟関係にあるカーター(左)とT-MAC(右)。99年から2シーズン共闘したが、やがて別れが訪れることに…。(C)Getty Images

義理の従兄弟関係にあるカーター(左)とT-MAC(右)。99年から2シーズン共闘したが、やがて別れが訪れることに…。(C)Getty Images

■意外な形で知るところとなった二人の血縁関係

「Blood is thicker than water(血は水よりも濃い)」ということわざがある。親族の関係は他人との関係よりも濃いという意味だが、だからこそ、一旦その関係がこじれると話はややこしいものとなる。

 ヴィンス・カーターとトレイシー・マッグレディの関係もそうだ。彼らはただ親族であるというだけではない。ともに最高の才能に恵まれたバスケットボール選手であり、一時は同じチームでプレーしていた。もしプライドと野心によって、彼らが引き裂かれることがなかったなら、一体どんな大きな成果を収めていただろうか。

 2人はしばしば従兄弟同士だと言われているが、これは正確ではない。カーターの義理の曾祖父とT-MACの祖母が兄妹という、親族には違いないが、血のつながりはない関係なのである。子供の頃は面識がないどころか、お互いの存在すら知らなかった。

 カーターは少年時代から、地元では名の通った選手だった。ドクターJ(ジュリアス・アービング)に憧れてバスケットボールを始め、そのドクターJ以上に高いジャンプ力で“UFO”というニックネームをつけられた。高校の時には、試合開始の何時間も前から満員になるほどの人気選手になっていた。
 
 両親がともに教師ということもあって、学校の成績も悪くなかった。バンドリーダーだった義父の影響で、自身もドラムやトランペットなどを演奏し、簡単な作曲もこなすなど、バスケット以外にも才能を発揮した。

 カーター同様、T-MACも子供の頃から抜群の運動神経の持ち主だった。最初に頭角を現したのは野球だったが、故郷の町に近いオーランド・マジックにペニー・ハーダウェイが入団するとそのプレーに魅せられてバスケットに親しむようになった。勉強は苦手で遅刻や欠席の常習犯だったが、バスケットボール選手としての才能は抜きんでたものがあり、高校生の頃にはすでに全米でも1、2位を争う実力と評価されていた。

 2人はフロリダに住んでいたころからすでに顔見知りだったが、カーターがノースカロライナ大(UNC)に進学した頃、T-MACもノースカロライナ州の高校に転校した。ピックアップゲームで顔を合わせた時には、ロッカーを共同で使っていたこともあった。それでもこの時は、まだお互いが特別な存在であることは知らなかった。1997年7月、T-MACはアトランタで親族たちの集まりに出席していた。そこで老齢の女性が彼に声をかけてきた。「あなたもバスケットボールをするのでしょう?うちの孫もバスケットボールの選手なのよ」。
 

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