98-99シーズンはポール・ピアースやジェイソン・ウィリアムズなどルーキーの当たり年だったが、その中でも頭一つ抜け出ていたのがカーターだった。チームトップの平均18.3点を挙げて新人王に輝いたが、それ以上に次々と豪快なダンクを叩きこんでファンを沸かせ、瞬く間に人気選手となった。やがて彼には、UNCの大先輩であるジョーダンの後継者として期待をかけられるようになった。
「ネクスト・ジョーダンだなんて、とんでもないプレッシャーだよ。それよりも、僕は僕自身でありたいね」と恐縮していたカーターだったが、続く99-00シーズンには平均得点を25.7点へアップさせ、人気は最高潮に達する。これみよがしなタトゥーやピアスなどをしていないところも、幅広い層に受け入れられる一因になった。背番号15のジャージは飛ぶように売れ、オールスターにもトップの得票で出場した。
シーズンのハイライトとなったのは、3年ぶりの開催となったスラムダンク・コンテストでの圧倒的なパフォーマンスだった。T-MACとのコンビネーションで披露したレッグスルー、ヒジごとダンクし右腕をリングに突き刺したままぶら下がる荒技など、迫力と創造性を兼ね備えたダンクの数々で5回中3回も満点を出し、ぶっちぎりのチャンピオンに輝いた。観戦していたドクターJも「私の絶頂期のダンクを超えている」と絶賛した。
ダンクコンテストではカーターに及ばず3位に終わったが、3年目を迎えたT-MACの成長も著しかった。「俺には30分間出場するだけの実力がある」と公言していた通り、ひとたびスターターになると目を見張るような活躍を見せた。本来のウイングのポジションだけでなく、ときにはポイントガードの役割もこなしながら15.4点、6.3リバウンドを記録。「俺やヴィンスほどエキサイティングな選手が2人もいるチームなんて、他にあるかい?」という発言もうなずけた。
カーターとT-MACの活躍で、ラプターズは創設5年目で初の勝ち越しとなる45勝を記録。プレーオフでは1回戦でニューヨーク・ニックスに3連敗したが、カーターとT-MACさえ健在ならば、ラプターズの未来は明るいと誰もが思った。ところが、これが彼らにとって一緒にプレーした最後のシーズンとなってしまったのである。
(後編へ続く)
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2006年9月号掲載原稿に加筆・修正。
【名場面PHOTO】ジョーダン最後のオールスター、コビー81得点、カーターの豪快ダンク……1999-2019 NBA名場面集
「ネクスト・ジョーダンだなんて、とんでもないプレッシャーだよ。それよりも、僕は僕自身でありたいね」と恐縮していたカーターだったが、続く99-00シーズンには平均得点を25.7点へアップさせ、人気は最高潮に達する。これみよがしなタトゥーやピアスなどをしていないところも、幅広い層に受け入れられる一因になった。背番号15のジャージは飛ぶように売れ、オールスターにもトップの得票で出場した。
シーズンのハイライトとなったのは、3年ぶりの開催となったスラムダンク・コンテストでの圧倒的なパフォーマンスだった。T-MACとのコンビネーションで披露したレッグスルー、ヒジごとダンクし右腕をリングに突き刺したままぶら下がる荒技など、迫力と創造性を兼ね備えたダンクの数々で5回中3回も満点を出し、ぶっちぎりのチャンピオンに輝いた。観戦していたドクターJも「私の絶頂期のダンクを超えている」と絶賛した。
ダンクコンテストではカーターに及ばず3位に終わったが、3年目を迎えたT-MACの成長も著しかった。「俺には30分間出場するだけの実力がある」と公言していた通り、ひとたびスターターになると目を見張るような活躍を見せた。本来のウイングのポジションだけでなく、ときにはポイントガードの役割もこなしながら15.4点、6.3リバウンドを記録。「俺やヴィンスほどエキサイティングな選手が2人もいるチームなんて、他にあるかい?」という発言もうなずけた。
カーターとT-MACの活躍で、ラプターズは創設5年目で初の勝ち越しとなる45勝を記録。プレーオフでは1回戦でニューヨーク・ニックスに3連敗したが、カーターとT-MACさえ健在ならば、ラプターズの未来は明るいと誰もが思った。ところが、これが彼らにとって一緒にプレーした最後のシーズンとなってしまったのである。
(後編へ続く)
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2006年9月号掲載原稿に加筆・修正。
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