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【プレーオフ激闘録】シャック&ペニーを擁し、王国建設を夢見たマジックの“歓喜”と“悲劇”|前編

大井成義

2020.08.24

シャック(右)とペニー(左)という人気と実力を兼ね備えた強力デュオを擁した90年代のマジック。王国建設は間違いないと思われたが…。(C)Getty Images

 NBAの歴史において、若いタレントを数多く揃え、将来を嘱望されたチームは枚挙に暇がない。しかしその中でも、1990年代中盤のオーランド・マジックは特別な存在だった。人気・実力を兼備したシャック&ペニーの超強力コンビを中心に、彼らはファイナル進出を果たす。王国建設を夢見たマジックが1994-95シーズンに味わった"歓喜"と"悲劇"に迫る。

■全米レベルの人気を誇っていた1994-95シーズンのマジック

"America's Team"という言葉がある。1978年、NFLのダラス・カウボーイズに名付けられたニックネームが由来だそうだ。その頃のカウボーイズはNFL最強を誇り、数少ない全米放送のカードにも頻繁に選ばれ、アメリカ中で愛される大人気チームだったという。

 そこから、全米規模で人気のあるスポーツチームを"アメリカズ・チーム"と称するようになる。フランチャイズ制度が確立しているアメリカのプロスポーツにおいて、地域の垣根を越えて、国民すべてに歓迎されるチームといったニュアンスだ。
 
 例えば、野球で言えばヤンキース。アンチも多いが、全米各地に多くのファンが存在する。NBAだと、マイケル・ジョーダンがいた1990年代のブルズが当てはまるだろう。レイカーズや、現在は完全にドアマットと化してしまったが、ニックスなども伝統的にその系譜に入るかもしれない。

 今からおよそ30年前、オーランドの街に初めて誕生したプロスポーツチーム、マジックは新たなアメリカズ・チームになれるだけのポテンシャルを十二分に秘めていた。1989年に創設され、数年の低迷期を経て、状況を一変させる幸運と奇跡を掴み取る様はまさしく"マジック(魔法)"だった。

 最初の幸運が訪れたのは、1992年のNBAドラフトロッタリー。確率2番目(15.15%)から1位指名権を引き当て、数十年に1人の逸材、シャキール・オニール(以下シャック)の獲得に成功する。

 そして翌1993年、ドラフトロッタリー史上最大の番狂わせを演じてみせる。シャックの加入により勝率を5割まで伸ばしたマジックに与えられたピンポンボールは、66個中たったの1個。1位指名権を獲得できる確率は、わずか1.52%だった。それを奇跡的に引き当てたのである。
 
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シャックがペニー獲得を進言