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“キング・ジェームズ”だけじゃない。歴代屈指のタレントが揃った2003年ドラフトのドラマ【NBAドラフト史】

大井成義

2019.09.19

レブロンはもちろん、ウェイド、カーメロ、ボッシュといったスーパースターが揃った2003年は、リーグ史に残る当たり年だった。(C)Getty Images

 マイケル・ジョーダンやアキーム・オラジュワンを輩出した1984年を史上最高の当たり年とするなら、史上最も大きな話題となったのは2003年のドラフトだろう。2002-03シーズンを最後にジョーダンが現役を退き、NBA人気の先行きに暗雲が漂い始めたその時、新たなスーパースター候補がNBAのコートに舞い降りる。それも、数十年に1人の傑物が出現したのだから、盛り上がらないはずがない。

 その若者の名はレブロン・ジェームズ。バスケットボール選手として、高校生で史上初めてスポーツイラストレイテッド誌の表紙を飾り、試合はTVで全米中継され、2万人近い観衆がアリーナに詰めかけるという熱狂ぶり。

 時代の寵児となったレブロンは、在学期間を1年残してNBA入りすることも検討していたが、高校卒業者というドラフトの規約を覆せず断念。翌年のドラフトが近づいてくると、レブロンフィーバーはより一層熱を帯びていった。

 2003年のドラフトは、1か月前に行なわれたロッタリーから大きな注目を集めていた。例年ならば、ロッタリーの様子は週末に行なわれるプレーオフ中継のハーフタイムに紹介されるのだが、レブロン人気を当て込んだABCは、初めて30分の単独番組をプライムタイムに放送する。

 前年の成績を元に割り出された1位指名権獲得の確率は、キャブズとナゲッツが22.5%で最も高く、続いてラプターズ、ヒート、クリッパーズ、グリズリーズの順。このロッタリーで伏兵となったのが、確率6番目(6.4%)のグリズリーズだった。
 その6年前、グリズリーズ(当時バンクーバー)は将来のドラフト1巡目指名権と引き換えに、ピストンズからベテランビッグマンのオーティス・ソープを獲得した。指名権の譲渡には複雑な条件が設定され、移譲は何年も先延ばしになっていたが、最終期限は03年。前年に50勝を記録し、イースト首位だったピストンズが、幸運にも上位指名権を手にするのである。

 ただし、グリズリーズが1位指名権を獲得した場合のみ、プロテクションは引き続き有効となる。つまり、2位以下の場合はピストンズに指名権が渡り、グリズリーズに1位が転がり込んだ時は手放さなくて済むのだ。そのため、グリズリーズにもレブロン獲得の可能性が、わずかながら残されていた。

 案の定、順位を決める気まぐれなピンポン球は番狂わせを演じ、最後の残り2チームにキャブズとグリズリーズが残る。ひな壇から見守っていたグリズリーズGM(当時)のジェリー・ウエストは、心臓が口から飛び出しそうだったと述懐している。だが、2位指名チームの封筒が開かれた瞬間、興奮と失望が入り混じったウエストの複雑な表情が、テレビに大きく映し出されたのだった。

 ロッタリーの結果、指名順位は上からキャブズ、ピストンズ、ナゲッツ、ラプターズ、ヒートに確定する。

 それからドラフトまでの1か月間、各チームの舞台裏では様々な出来事が起こっていた。この年のドラフトは注目度がひときわ高かったこともあり、後にいくつかのメディアが検証記事やドキュメンタリーを制作している。ESPNによって明かされた証言を元に、2003年NBAドラフトの舞台裏を覗き見てみたい。
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1位は予想通りレブロン。ピストンズが2位で指名したのは……