NBA

スパーズで2度の頂点を経験した好漢、マリーク・ローズが選手たちとの"橋渡し役"に。彼の多彩なキャリアとは?

杉浦大介

2020.09.16

キャリアを通じてほぼ控え選手だったローズだが、99年と03年には貴重な戦力としてスパーズの優勝に貢献した。(C)Getty Images

■2度の頂点を経験した好漢がNBA運営部門の要職に就任

 今年の6月22日、マリーク・ローズがNBAのバスケットボール部門副部長に就任したことがリーグより発表された。今後、ローズはリーグのプログラムやルールなどについて、チームと選手たちとの橋渡し役を務めることになる。この人事に関し、リーグ運営部門の部長であるバイロン・スプルーエルは次のような声明を発表した。

「ゲームのすべてのレベルにおける知識、専門的な理解、経験を持つ彼は、チームと選手の接点を拡大するのに理想的な人材です。バスケットボール関連の多くのプロジェクトに貴重な情報と視点を提供してくれるでしょう」

 現役時代から現在までのローズのキャリアと評判を知るファンや関係者の多くは、スプルーエルのこの言葉に頷いたに違いない。選手とリーグの両方の立場を理解しなければいけない新たな役職は、これまで様々な経験を積み上げてきたローズには適した仕事に思えてくるからだ。
 
 1974年にフィラデルフィアで生まれたローズは、ドレクセル大の主力選手として活躍。在学中に母校を3度もNCAAトーナメント進出に導いたこともあって、地元では名を知られた存在だった。とはいっても、NBA入りが有望視される存在だったわけではない。指名される可能性は低いと目されたが、ローズとその家族はニュージャージーで開催された96年のドラフト会場に足を運んだのだという。

「母はいつでも私のことを信じてくれた。ドラフトにもチケットを買って、スタンドに座ったんだ。44番目に指名され、名前が呼ばれたら家族のメンバーは大喜びしていた。その後、立ち上がって大人しく帰宅したんだ」

 こんな温かい家族に支えられたローズは、プロ入り時の低評価を覆し、NBAで実に13年という長いキャリアを築く。ドラフトで指名されたシャーロット・ホーネッツから97年にサンアントニオ・スパーズに移籍すると、ちょうど強豪への道を歩み始めたチームで、ロールプレーヤーの地位を確立。ハッスルプレーでサンアントニオでも人気になり、99、2003年のファイナル制覇に貢献した。とにかくファンに愛された選手だったため、05年にニューヨーク・ニックスにトレードされた際には、サンアントニアンが一様に嘆いたというエピソードも残っている。