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NBA創成期のスター、ビングからカーメロへと続くシラキュース大の系譜。歴史の裏には75歳の名将あり【名門カレッジ史】

出野哲也

2020.10.02

シラキュース大出身のNBA選手はカーメロ(右)やコールマン(左下)らスコアラーの人材が豊富。彼らは皆ベーハイムHCの教え子だ。(C)Getty Images

 ニューヨーク州に地を構えるシラキュース大は、古くはデイブ・ビング、現役ではカーメロ・アンソニーの出身校として知られる。しかし彼ら以上に有名なのが1976年から現在まで指揮を執っているジム・ベーハイムだ。カレッジの通算勝利数で歴代2位の名将は、同校の歴史を語る上で不可欠な存在である。

■プレーヤーとしてだけでなく、引退後も成功を収めたビング

 ニューヨーク州と言えば、大抵の人は世界最大級の大都会"ニューヨーク・シティ"を思い浮かべるだろう。しかし、州の大半は豊かな自然に彩られた地域で、有名なナイアガラの滝もこの州にある。州中央部に位置するシラキュースも中規模の工業都市で、NBA創成期には、現在はフィラデルフィアに移転しセブンティシクサーズとなっているナショナルズが存在した。
 
 同市最大の大学であるシラキュース大のスポーツチームは、スクールカラーからオレンジ(古くはオレンジメン)と呼ばれ、バスケットボール部は1898年に誕生した。早い時期から強豪校の地位を築き、1925~27年に3年連続オールアメリカンに選ばれたビク・ハンソンはのちに殿堂入りしている。だが79年にビッグイースト・カンファレンスが設立されるまでは特定のカンファレンスに所属せず、70年代に入るまでNCAAトーナメント(以下トーナメント)にも散発的に出場しただけだった。

 NBA選手第1号は49年にナショナルズに入団したビル・ガボールで、53年にはオールスターに出場した。最初の全国的なスターはデイブ・ビング。PGでありながら得点力に秀でており、4年時の65-66シーズンにあげた平均28.4点は現在も破られていない学校記録だ。66年にドラフト2位でデトロイト・ピストンズに入団、2年目の68年に2142点を稼ぎ得点王になっている(当時は平均得点ではなく、総得点でタイトルを決めていた)。

 引退後は製鉄会社を起業。黒人の経営者としては全国有数の成功を収め、さらに2009年にはデトロイト市長選に立候補して当選するなど、絵に描いたようなサクセスストーリーの主人公だった。
 
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ベーハイムHCが就任し、強豪への道を歩み始める