NBA

“レブロン&コビー”幻に終わった2大メガスターのトレード話【NBA秘話】

大井成義

2019.11.10

2007年のオフ、レブロン、コビーというNBAを代表するスーパースター同士のトレードが、水面下で画策されていた(C)Getty Images

 ここ数年のNBAで最大クラスとも言える超弩級の移籍が発表されたのは、FA市場解禁日の2018年7月1日、現地時間17時5分のことだった。スポーツマネージメント会社のクラッチスポーツグループがツイッターに掲載した、わずか5行のニュースリリース。

「NBA MVP4回、NBAファイナルMVP3回、NBAオールスター14回、そして2度のオリンピック金メダリスト、レブロン・ジェームズがロサンゼルス・レイカーズと4年154ミリオンの契約で合意に達した」。

 ベテランの域に達したとはいえ、いまだ地球上で最強のバスケットボール選手であるレブロンが、リーグ屈指の名門にして最も華やかな、しかしながら長年低迷している球団への移籍を決断したのである。選択肢のひとつとして予想はされていたものの、"キング"のハリウッド降臨という、ちょっと出来すぎというか、ゴージャスすぎてこそばゆい感じさえする展開に、世界中のスポーツメディアやスポーツファンが一斉にどよめいたに違いない。

 それから約1時間が経過した18時10分、レイカーズ・レジェンドの1人、コビー・ブライアントが「ファミリーへようこそ」とツイート。そのツイートは、移籍を発表したクラッチスポーツのツイートの何倍もの速さで拡散され(100日後時点でリツイート約13万件、いいね約28万件)、引退から2年が過ぎても衰えを知らないコビーの影響力の大きさを、改めて知らしめる形となった。
 コビーとレブロン。マイケル・ジョーダンからバトンを受け継ぎ、人気、実力の双方でリーグの頂点を極めた、今世紀のNBAを代表する2大スーパースターである。その2人が大舞台で相まみえたことは、意外なことに一度もない。ずっと別々のカンファレンスに在籍していたため、プレーオフはもちろん、ファイナルで戦った経験もないのだ。

 調べてみると、レブロンが初めてファイナル進出を果たした2007年から、コビーが引退する2016年までの10年間、2人のうちのどちらかは必ずファイナルまで駒を進めている。にもかかわらず、直接対決は一度もなし。もし実現していたら、とんでもないテレビ視聴率を叩き出していただろう。

 2人が同じコートに立ったのは、レギュラーシーズンの22試合と都合9回のオールスターゲーム、それにチームメイトとなった2度のオリンピック(北京とロンドン)のみ。同時代にプレーした2人のスーパースター、例えば1980年代のマジック・ジョンソンとラリー・バード並み(ファイナルだけで19試合対戦)にとまではいかなくとも、もう少しコート上で濃密なバトルが行なわれていても然るべきだったのではないだろうか。運命のイタズラと言ってしまえばそれまでだが、それにしてもこの縁の薄さは並大抵ではない。

 そんな2人にまつわる衝撃的なエピソードが報じられたのは、2016年2月のことだった。なんと、かつてコビーとレブロンのトレード話が水面下でなされていたのだという。もし実現していたら、世紀のブロックバスタートレードとして、その後のリーグの勢力図にとてつもない変化をもたらしていたに違いない。

 スクープをモノにしたのは、ESPNシニアライター、ブライアン・ウィンドホースト記者。時は2007年に遡る。
NEXT
PAGE
シャック放出後、レイカーズの顔となったコビーだが優勝は遠く