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NBA

カーターの“人間越えダンク”が飛び出したシドニー五輪。しかしこの大会は、4年後に起こる悪夢への序章だった

出野哲也

2020.10.23

バスケ史上最高のダンクとされるカーターの“人間越えダンク”(左)。シドニー五輪といえばこのイメージが強いが、それはアメリカ代表の戦いぶりが不甲斐なかったからでもあった。(C)Getty Images

バスケ史上最高のダンクとされるカーターの“人間越えダンク”(左)。シドニー五輪といえばこのイメージが強いが、それはアメリカ代表の戦いぶりが不甲斐なかったからでもあった。(C)Getty Images

 ヴィンス・カーターの人間越えダンク――。シドニー五輪と聞いて、バスケットボールファンが真っ先に連想するのはこのプレーだろう。それほどインパクトが強かったのは事実だが、アメリカ代表が不甲斐なかったことも、その印象のみを先行させている理由のひとつだ。決勝トーナメントでは苦戦に次ぐ苦戦。世界のバスケットボール勢力図は、確実に変わりつつあった。

■シドニー五輪で誰もが連想する、衝撃的なカーターのダンク

 2000年に開催されたシドニー五輪の男子バスケットボールと言えば、ほとんどの人がひとつのプレーを思い浮かべるのではないだろうか。9月25日のフランス対アメリカ戦、ヴィンス・カーター(当時トロント・ラプターズ)が身長218cmのフレデリック・ワイスの頭越しに叩き込んだダンクである。

 史上最高のダンクとも言われるこの一撃のインパクトが強すぎたこと、また優勝したアメリカ代表の戦いぶりが精彩を欠いていたというふたつの理由から、シドニー五輪と言えば“カーターがダンクを決めた大会”として記憶されている。
 
 1992年のバルセロナ五輪を戦ったアメリカ代表、いわゆる“初代ドリームチーム”に続き、1996年のアトランタ五輪でもシャキール・オニール(当時オーランド・マジック)、アキーム・オラジュワン(当時ヒューストン・ロケッツ)といったスーパースターたちが参戦。彼らもドリームチームⅢ(“Ⅱ”は1994年の世界選手権に出場したチーム)として、初代ほどではないけれども大きな注目を集めた。

 しかしドリームチームも4代目となると、結成された当初の新鮮さは選手、ファンの双方にとって薄れ始めていた。過去の五輪メンバーで参加したのはゲイリー・ペイトン(当時シアトル・スーパーソニックス/現オクラホマシティ・サンダー)のみ。若手中心の布陣となったが、“旬のヤングタレント”だったティム・ダンカン(当時サンアントニオ・スパーズ)とグラント・ヒル(当時デトロイト・ピストンズ)は故障、コビー・ブライアント(当時ロサンゼルス・レイカーズ)は個人的な理由(結婚式)など、それぞれの事情で出場を辞退していた。オリンピックはもはや選手たちにとって、万難を排して馳せ参じるほど名誉なものだとは見なされなくなっていたのだ。
 
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予選を全勝で突破するも、不安の残る戦いぶり

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