NBA

【名作シューズ列伝】デュラントの成長とともにシグネチャーもアップグレード!ローカットを採用した「KD VI」

西塚克之

2020.12.30

新たな相棒を得た2013-14シーズン、デュラントはサンダーをカンファレンス2位に導き、初のMVPに輝いた。(C)Getty Images

 人に歴史あり。バスケにスーパースターあり。スーパースターにシグネチャーモデルあり。シグネチャーモデルにBOXあり!

 ケビン・デュラントは、ワシントンDC出身。地元AAU(アマチュア・アスレチック・ユニオン)のバスケットボールチームに入り、コーチのタラス・ブラウンに見出され、1日8時間の個人プログラムを消化していきます。高校生になり身長が203cmまで伸び、最終学年時には地元のモントロス・クリスチャン高に転校。

 同校は、現在Bリーグで活躍している富樫勇樹や松井啓十郎選手、伊藤大司の出身校として知られており、在学中に伊藤と一緒にプレーしていました。

 2006年の高校生によるオールスターゲームでMVPに輝き、高卒でのNBA入りも期待されたデュラント。しかし同年からドラフトエントリーに年齢制限が加えられたため、彼はテキサス大に進学します。ここで1年時から主要個人タイトルを総なめにするなど評価をさらに高め、07年のドラフト1巡目2位でシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)に指名されます。

 チームはデュラント指名と同時にエースのレイ・アレン、さらに2番手のラシャード・ルイスを放出し、19歳のルーキーを中心としたチーム作りに着手します。このことからも彼がいかに期待されていたかがわかるのですが、さらにこの細身のフォワードはNIKEと7年6000万ドルの契約を締結。これは新人としてはレブロン・ジェームズ(7年9000万ドル)に次ぐ高額契約でした。
 
 1年目から平均20.3点を叩き出したデュラントは2位に大差をつけて新人王を獲得。翌年にチームがオクラホマシティにフランチャイズを移すゴタゴタがあったものの、彼自身の進化は止まらず、チームもラッセル・ウエストブルックやジェームズ・ハーデンの加入で強豪に成長を遂げます。

 キャリア5年目の12―13シーズンには、ファイナルに初出場。レブロンがいるマイアミ・ヒートに敗れはしたものの、オフにはロンドンオリンピックで金メダルを獲得し、選手として最初のピークを迎えました。



 翌13-14シーズンの開幕前に発売されたのが今回紹介する「KD VI」です。このモデルはデザイナーのレオ・チャンとナイキのデザインチームによって作られました。

 インスピレーションは、腕時計の精密な職人技。コートでのデュラントの流れるような動きがまるで時計のようで、シューズも細心の注意を払って作られたプレミアムウォッチのように設計したいという思いから誕生しました。



 高速での横方向のフットワークをサポートするために、フォルムをローカットモデルに変更。サッカーのスパイクのように、シューレース部分がインサイドに偏った仕様になっています。アッパーはシームレスで構築し、両サイドを包み込むように2層からなるHyperfuse(ハイパーフューズ)&Fly Wire(フライワイアー)を張り巡らせて軽量化、フィット性、通気性&耐久性の向上に成功しました。