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オラジュワン、ドレクスラーらを輩出したヒューストン大が起こした“世紀の一戦”と“革命”の歴史【名門カレッジ史】〈DUNKSHOOT〉

出野哲也

2021.02.15

オラジュワン(左)、ドレクスラー(右上)、ヘイズ(右下)といったレジェンドを輩出したヒューストン大。そして彼らはみな地元球団ロケッツでプレーした。(C)Getty Images

■ヘイズが"世紀の一戦"で爆発し、UCLAの連勝記録を止める

 地域最大の大学と、その地に本拠を構えるNBAチームが最も密接な関わりを持つ都市は、おそらくヒューストンだろう。NBAで400試合以上出場した11人のヒューストン大OBのうち、5人がロケッツに在籍。殿堂入りした3選手――エルビン・ヘイズ、クライド・ドレクスラー、アキーム・オラジュワンもみな同球団で活躍している。

 ヒューストン大バスケットボール部(通称クーガーズ)が創部されたのは1945年。強豪と呼ばれる大学としては、歴史が極めて浅い部類に入る。1956年にはオルデン・パッシュ・ヘッドコーチ(HC)の下、NCAAトーナメント(以下トーナメント)に初出場。翌1957年からはパッシュに代わり、クーガーズ1期生のガイ・ルイスが新指揮官に就任した。

 1965年以降はトーナメントの常連となり、9年間で8度の出場を果たす。1967年はともにルイジアナ州出身のドン・チェイニーとヘイズを中心にファイナル4まで進出。年間無敗だったUCLAに準決勝で敗れたが、ノースカロライナ大との3位決定戦に勝利を収めた。
 
 翌1968年1月20日、ヒューストン大は公式戦47連勝中のUCLAを地元アストロドームに迎える。5万2000人を超える観客が見守るなか、レギュラーシーズンの試合では異例の全米中継もされた"世紀の一戦"は、ヘイズが39得点、15リバウンドと大爆発。UCLAのスーパースター、ルー・アルシンダー(のちのカリーム・アブドゥル・ジャバー)を3度にわたりブロックし、さらには決勝のフリースローも沈め、71-69で無敵軍団の連勝にピリオドを打った。

 しかしながら、彼らとの再戦となった同年のトーナメント準決勝では、ヘイズがわずか10得点に抑え込まれ69-101と大敗。続くオハイオ州大との3位決定戦にも、85-89で惜敗した。

 3年時にマークしたシーズン平均36.8点をはじめ、数々の学校記録を残したヘイズは1968年のドラフト1位でロケッツ(当時はサンディエゴが本拠地)に入団。得意のフェイダウェイを武器に暴れ回り、得点王に輝く最高のルーキーイヤーを過ごした。
 
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