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シャックとペニーはどこで道を違えたのか…史上最強に“なり損ねた”2人のキャリアは正反対に【NBAデュオ列伝|後編】〈DUNKSHOOT〉

出野哲也

2021.02.19

史上最強になり損ねたシャック(右)とペニー(左)。結局一度も頂点に立つことなく別々のキャリアを歩むことに。(C)Getty Images

■性格の違いが災いし、頂点を目前に2人の溝は深まる

 ペニーの人気が高まるにつれて、シャックとの間に徐々に張り詰めた空気が流れ始めた。

 ペニー人気は上昇の一途を辿っていた。ナイキが制作した"リトル・ペニー"という人形をフィーチャーした一連のCMも大評判。ジョーダンの後継者の一番手はペニーだと囁かれ、ペニーは自ら「そうなれたらいいし、なれると思う」と自信を覗かせた。

 1995-96シーズン、開幕からシャックは親指の骨折で欠場が続いた。その間、ペニーは平均27点と獅子奮迅の働きで11月の月間MVPを受賞。シャック不在の22試合でチームを17勝させ、まったくその穴を感じさせなかった。

 年間でも前年を上回る60勝をあげると、もはやマジックはペニーのチームといった雰囲気すら生まれ、オーランドではシャック不要論すら口にされるようになった。

 こうした状況に、人一倍プライドの高いシャックが我慢できるはずもなかった。そもそも明るく社交的なシャックと、内向的なペニーは性格的には正反対であり、時間が経つにつれてそうした違いは顕わになっていった。
 
「僕らはお互いのことについて知り抜いているけれど、心の底からは信じてはいない。シャックにはシャック、僕には僕の仕事がある。僕の力で彼が栄光を勝ち取るようなことはさせたくない」

 レイカーズでシャックとともにプレーしていた頃のコビーのようなこの発言は、1996年のシーズン中のペニーのコメントである。この頃には、2人の信頼関係は完全に冷え切っていた。

 1996年のカンファレンス・ファイナルでブルズに4連敗してシーズンを終えると、FAとなったシャックはレイカーズと7年1億2100万ドルという破格の契約を結んだ。ペニーとの黄金のコンビネーションは、こうしてあっけなく崩壊した。

 もともとレイカーズは、シャックにとって子どもの頃からの憧れのチームだった。それに加えて、シャックはラッパーや俳優などの芸能活動にも力を入れていた。エンターテインメントの本場ハリウッドに近いロサンゼルスへの移籍は、彼にとってはごく自然な選択であった。

 移籍の知らせを聞いて、ペニーは言葉を詰まらせた。

「彼からは何も聞かされていない。一緒にマジックでキャリアを終えたかったのに……」

 最高の友人ではなくとも、チームメイトとしてシャックのような偉大な選手を失うのは大きな痛手だった。

 レイカーズ移籍発表の直後に開幕したアトランタ五輪のドリームチームⅢが、シャックとペニーの最後の共演となった。
 
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シャックがリーグ制覇を成し遂げた一方で、ペニーは……

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