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バスケと料理の“二刀流”。ミシュラン三つ星を獲得した、アレクサンドル・マズィアの異色のキャリア〈DUNKSHOOT〉

小川由紀子

2021.03.01

バスケ選手から料理人へと転身を遂げた、マズィアの異色のキャリアを振り返る。(C)Alexandre Mazzia/右 (C)Matthieu Cellard/左

 1月下旬、毎年恒例のミシュランのレストランガイドのフランス版が発行された。

「レストラン?バスケットボールとどう関係あるの?」と疑問に思われたかもしれないが、2021年度版でただひとつ、最高峰である三つ星を獲得したレストラン『AM』のシェフ、アレクサンドル・マズィア氏は、フランスリーグで10年間プレーし、同国のユース代表に選ばれたこともある元プロのバスケ選手なのだ。

 父親の仕事の関係で、アフリカのコンゴで生まれたマズィア氏は、14歳までそこで育った。海沿いで暮らし、地元の漁師が採ってきた魚を干す匂いや、自然の草花に囲まれた野性味あふれる生活に馴染んでいた彼は、フランスに帰国後の都会生活で、カルチャーショックに陥ってしまう。そんな彼を救ってくれたのがバスケットボールだったという。

 プレーにのめり込むことでほかのことは忘れられたし、仲間もできた。そうして移民の少年たちと一緒にストリートバスケをしていた時にスカウトされ、南フランスのチームを中心に、選手として計10年間プレー。マルセイユのSMUCでは、1980年のドラフトで9位指名を受けてサンディエゴ(現ロサンゼルス)・クリッパーズなどで計6年間プレーした、元アメリカ代表のマイケル・ブルックスともチームメイトになった。
 
 1番(ポイントガード)から4番(パワーフォワード)までこなしたなかでも、マズィア氏が特に秀でていたのはシューティング力。そのためシューティングガードとして起用されることが多く、1回の練習で最高67本の3ポイントを沈めたというから、なかなかのシューターだ。

 プロ選手として活動している最中から、以前から興味があったパティシエの学校にも通うという、二足の草鞋を履いていたマズィア氏。パティシエの師匠もバスケのクラブ側も「パフォーマンスに支障がないなら問題ない」と容認してくれていたから「その好意に報いるためにも、両方で人の2倍努力した」と語る。

 しかしやがて、料理の方でより責任あるポストを任されるようになったことで、彼はバスケを辞めて料理の道に専念することを選んだ。
 
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マズィア氏の料理を食べたある人物は「美味しさのあまり涙が出た」とも