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コビーのラブコールも届かず…元オールスターのアリナスがレイカーズ入りを断ったワケは?〈DUNKSHOOT〉

ダンクシュート編集部

2021.03.03

2012年にマジックを解雇され、FAとなったアリナス(左)はコビー率いるレイカーズ入りの可能性もあったが、入団には至らなかった。(C)Getty Images

 ギルバート・アリナスは、八村塁が現在所属するワシントン・ウィザーズで2000年代にエースとして活躍したスコアラーだった。全盛期には1試合60得点をマークするなど、一度火が付くと止まらない様からも「HIBACHI(火鉢)」の愛称で知らしまれたが、2012年に英雄コビー・ブライアントからロサンゼルス・レイカーズ入りを勧誘されていたという。

 学生時代にコーチから「お前のプレータイムなんて0分だ」と言われ、周囲を見返すために背番号「0番」を着けてプレーしていたアリナス。01年のNBAドラフトでも2巡目31位指名と低評価でのプロ入りとなった。

 それでも、ルーキーイヤー途中にスタメンの座を掴むと、2年目の2002-03シーズンは全82試合に出場して平均18.3点、4.7リバウンド、6.3アシストをあげ、最も成長した選手に送られるMIP賞に輝いた。トリッキーなドリブルからのアタック、思い切りの良いアウトサイドシュートでスコアラーとして覚醒し、04-05シーズンから3年連続でオールスターに出場。翌05-06シーズンにはコビー、アレン・アイバーソン、レブロン・ジェームズ(現レイカーズ)に次ぐリーグ4位の平均29.3点を叩き出してその名を轟かせた。
 
 しかし、07年4月に左ヒザ外側半月板断裂の大ケガを負い、07-08シーズンはヒザを再手術。オフにウィザーズと6年総額1億1100万ドルで契約延長を結ぶも、わずか2試合の出場とほぼシーズンを全休した。さらに、ケガの癒えた09-10シーズンもロッカールームに拳銃を持ち込んだとして出場停止処分を受け、30日間の更生施設入りを余儀なくされた。

 10年にラシャード・ルイスとのトレードでオーランド・マジックに移籍するも、平均8.0点にとどまり、翌年にアムネスティ条項によりチームから解雇。12年3月にメンフィス・グリズリーズと契約することになるが、直前にレイカーズ入りの可能性があったという。アリナスは自身がホストを務める『Fubo Sports』の"No Chill"で明かした。

「レイカーズからコンタクトがあって、スティーブン・ジャクソンの家(アメリカの有名ビジネスマン。ロザンゼルスの高級住宅街ベル・エアに、レイカーズの本拠地ステイプルズ・センターを模したプライベートジムを作った)でトライアウトをした。400本のシュートを打って、ミスはたった5本。絶好調だった。ミッチ(カプチャックGM/当時)が俺に会いに来た。(09年12月の)拳銃事件のこともあったから、過剰な報道のメディアを含めてロサンゼルスの環境について考えた」

 11-12シーズンはマジックで出番がなく、最後にコートに立ったのは11年4月28日のプレーオフ1回戦最終戦。1年近く実戦から遠ざかっており、調整期間の短さやレイカーズのチーム状況を考えて契約は見送ったと振り返る。