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NBA屈指の悍馬アイバーソンを唯一乗りこなしたスノウ――伝説となった電光石火のガードコンビ【NBAデュオ列伝|前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.04.15

アイバーソン(右)とスノウ(左)は1998年からコンビを結成。絶妙な連携プレーで2001年にはシクサーズを18年ぶりのファイナルに導いた。(C)Getty Images

■光と闇の狭間にいたアイバーソンには名指導者と相棒が必要だった

 個人としては4度の得点王に輝き、MVPにもなったアレン・アイバーソンだが、チームとしては優勝を経験することがなかった。何人ものスター選手とともにプレーしながら、そのプレースタイルから誰一人として共存できなかったのである。

 キース・ヴァンホーン、グレン・ロビンソン、クリス・ウェバー、カーメロ・アンソニー……。皆、アイバーソンの負担を軽減できる得点力はあったが、ボールを独占しがちな天才とのプレーでは、その持ち味が生かされずに終わっていた。

「自分が1試合に30点取りたがるような選手だったら、アレンと一緒にやるのは難しいだろう。でも僕みたいに、チームのために自分を犠牲にできる選手なら、彼のような選手はむしろ自分の仕事をやり易くしてくれるよ」

 このように語るのは、アイバーソンと6シーズン半にわたってガードコンビだったエリック・スノウである。どのような意味でもスター選手ではないスノウだけが、NBA屈指の悍馬アイバーソンを乗りこなしていたのだ。

 ジョージタウン大で活躍した後、アイバーソンは1996年のドラフト1位でフィラデルフィア・76ersに入団。ポイントガード(PG)の1位指名は79年のマジック・ジョンソン以来だった。もっとも、アイバーソンのプレースタイルは典型的なPGとはまったく異なり、プレーメーキングは二の次。何よりも多くの得点をあげることに彼は執念を燃やした。
 
 身長は183cmしかなかったが、天性のスピードと機敏さ、そして劣悪な環境で鍛えられた強靭な精神力によって、バスケットボールでは致命的な欠点となりかねない身長のハンディキャップをカバーした。

 聖書のダビデとゴリアテのように、小さな身体のアイバーソンが大柄な選手たちを翻弄して得点を稼ぎまくる姿に、ファンは快哉を叫んだ。シーズン終盤には5試合連続40点以上の新人記録を樹立し、とりわけマイケル・ジョーダンとのマッチアップで、クロスオーバードリブルから抜き去ってシュートを決めたシーンは、誰もが驚嘆した。

 平均23.5点をあげ新人王に選ばれるなど、1年目から実力を存分に発揮したアイバーソンだったが、一方でプレー態度などには疑問符がつけられた。特に「コートの上では誰にも敬意を払うつもりはない」との発言が「ベテラン選手を尊敬していない」との趣旨で報道されたことで激しく非難を浴び、鼻持ちならない生意気な奴との拭いがたいイメージがついてしまったのだ。

 この段階でのアイバーソンは、名プレイヤーになり得る素晴らしい素質と、破滅の道に至りかねない危険性との間で揺れている状態だった。彼の手綱をしっかりと握り、選手として、人間としての成長を促すことのできる指導者が必要だった。
 
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スノウとの出会いがキャリアのターニングポイントに