コビー・ブライアントはロサンゼルス・レイカーズのみならず、NBA界にその名を刻むレジェンドだ。2020年1月26日(日本時間27日)、不慮のヘリコプター墜落事故に見舞われ41歳で人生に幕を閉じたあとも、武勇伝が絶え間なく語られてきたが、同じ1996年のドラフトでプロ入りした“同期”が、希代のスコアラーの印象について口を開いた。
その人物とは、ビラノバ大から1996年ドラフト1巡目8位指名でニュージャージー・ネッツ(現ブルックリン・ネッツ)に入団したケリー・キトルズだ。身長196cmとコビーよりもわずかにサイズは小さかったが、ポジションは同じシューティングガードで、アウトサイドからでも軽々とゴールを射抜くシューター型スコアラーだった。バスケットボール専門誌『SLAM』で、1996年ドラフト組が表紙を飾ったかの有名な号でも、コビーと一緒に写っていた1人としても知られている。
故障もあってNBAキャリア9年で現役引退となったが、後期3連覇時のマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)、ルーキーイヤーのレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)とも対戦経験を持つキトルズは、右ヒザの軟骨修復手術で1年の全休を経て迎えた2001-02シーズンに、NBAファイナルでレイカーズと対戦。コビー&シャキール・オニールの強力デュオを止められず、スウィープで3連覇達成を許したが、その当時について『BasketballNews.com』で振り返っている。
「コビーとシャックはその年、リーグのNo.1とNo.2の存在だった。ベストプレーヤーと、2番目に優れた選手が僕らに襲い掛かってきて、あらゆるシュートを決めたんだ。たまにリック・フォックス、ロバート・オリー、デレック・フィッシャーにパスをすることはあったけど、2人はこの上なく支配的だった」
2002年のファイナル以外にも、レイカーズ戦ではコビーとのマッチアップ機会の多かったキトルズ。レギュラーシーズン通算507試合、プレーオフ通算54試合に出場したなかで、コビーが最も“守りにくい選手”だったという。その理由について、このように説明する。
その人物とは、ビラノバ大から1996年ドラフト1巡目8位指名でニュージャージー・ネッツ(現ブルックリン・ネッツ)に入団したケリー・キトルズだ。身長196cmとコビーよりもわずかにサイズは小さかったが、ポジションは同じシューティングガードで、アウトサイドからでも軽々とゴールを射抜くシューター型スコアラーだった。バスケットボール専門誌『SLAM』で、1996年ドラフト組が表紙を飾ったかの有名な号でも、コビーと一緒に写っていた1人としても知られている。
故障もあってNBAキャリア9年で現役引退となったが、後期3連覇時のマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)、ルーキーイヤーのレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)とも対戦経験を持つキトルズは、右ヒザの軟骨修復手術で1年の全休を経て迎えた2001-02シーズンに、NBAファイナルでレイカーズと対戦。コビー&シャキール・オニールの強力デュオを止められず、スウィープで3連覇達成を許したが、その当時について『BasketballNews.com』で振り返っている。
「コビーとシャックはその年、リーグのNo.1とNo.2の存在だった。ベストプレーヤーと、2番目に優れた選手が僕らに襲い掛かってきて、あらゆるシュートを決めたんだ。たまにリック・フォックス、ロバート・オリー、デレック・フィッシャーにパスをすることはあったけど、2人はこの上なく支配的だった」
2002年のファイナル以外にも、レイカーズ戦ではコビーとのマッチアップ機会の多かったキトルズ。レギュラーシーズン通算507試合、プレーオフ通算54試合に出場したなかで、コビーが最も“守りにくい選手”だったという。その理由について、このように説明する。
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