1910年に創設され、NBA(1946年)より古い歴史を持つNCAA(全米大学体育協会)は、プロを目指す若手選手たちにとってNBA入りの"王道ルート"であり、時代を問わず何人ものスーパースターをNBAに送り出してきた。
では、カレッジとNBAで実績を残した選手を対象に、大学別に最強メンバーを選出した場合、どんな顔ぶれになるのか。『THE DIGEST』では、双方に精通する識者に依頼し、各大学のベストメンバーを選んでもらった。
今回は"メンフィス大編"だ。これまでNCAAトーナメントの優勝経験こそないものの、準優勝は2度達成し、NBAにも数名のスター選手を輩出している。ただ、今回ベストメンバーに選ばれた顔ぶれを見ると、ケガに泣いた俊英や伸び悩んだ逸材など、"惜しい"プレーヤーが多いのが特徴かもしれない。
【ポイントガード】
デリック・ローズ
1988年10月4日生。188センチ・91キロ
カレッジ成績:40試合、平均14.9点、4.5リバウンド、4.7アシスト
NBA成績:646試合、平均18.5点、3.3リバウンド、5.5アシスト
メンフィス大に入学した2007-08シーズンに、1年生ながら正PG(ポイントガード)としてNCAAトーナメントで活躍し準優勝の立役者となる。同年、NBAドラフトで同大学史上初の全体1位指名を受け、生まれ故郷のシカゴ・ブルズに入団。小柄ながらも抜群の身体能力を駆使し、平均16.8点、6.3アシストをあげ新人王を受賞した。
3年目の2010-11シーズンには平均25.0点、7.7アシストまで数字を伸ばし、ブルズをカンファレンス最高勝率に導いて史上最年少の22歳6か月でシーズンMVPを受賞。しかし、スーパースターの階段を着実に上っていたさなか、左ヒザの前十字靱帯を断裂する重傷を負って2012-13シーズンは全休。その後も今度は右ヒザを痛めるなど、何度となくケガに祟られ続け、引退の噂すら流れた。
だが最低年俸でミネソタ・ティンバーウルブズに加わった2018年、10月31日のユタ・ジャズ戦で50得点。「ローズは今でもスーパーヒーロー」とレブロン・ジェームス(ロサンゼルス・レイカーズ)も感動したほどの、奇跡的な復活を遂げた。現在もニューヨーク・ニックスで活躍している。
では、カレッジとNBAで実績を残した選手を対象に、大学別に最強メンバーを選出した場合、どんな顔ぶれになるのか。『THE DIGEST』では、双方に精通する識者に依頼し、各大学のベストメンバーを選んでもらった。
今回は"メンフィス大編"だ。これまでNCAAトーナメントの優勝経験こそないものの、準優勝は2度達成し、NBAにも数名のスター選手を輩出している。ただ、今回ベストメンバーに選ばれた顔ぶれを見ると、ケガに泣いた俊英や伸び悩んだ逸材など、"惜しい"プレーヤーが多いのが特徴かもしれない。
【ポイントガード】
デリック・ローズ
1988年10月4日生。188センチ・91キロ
カレッジ成績:40試合、平均14.9点、4.5リバウンド、4.7アシスト
NBA成績:646試合、平均18.5点、3.3リバウンド、5.5アシスト
メンフィス大に入学した2007-08シーズンに、1年生ながら正PG(ポイントガード)としてNCAAトーナメントで活躍し準優勝の立役者となる。同年、NBAドラフトで同大学史上初の全体1位指名を受け、生まれ故郷のシカゴ・ブルズに入団。小柄ながらも抜群の身体能力を駆使し、平均16.8点、6.3アシストをあげ新人王を受賞した。
3年目の2010-11シーズンには平均25.0点、7.7アシストまで数字を伸ばし、ブルズをカンファレンス最高勝率に導いて史上最年少の22歳6か月でシーズンMVPを受賞。しかし、スーパースターの階段を着実に上っていたさなか、左ヒザの前十字靱帯を断裂する重傷を負って2012-13シーズンは全休。その後も今度は右ヒザを痛めるなど、何度となくケガに祟られ続け、引退の噂すら流れた。
だが最低年俸でミネソタ・ティンバーウルブズに加わった2018年、10月31日のユタ・ジャズ戦で50得点。「ローズは今でもスーパーヒーロー」とレブロン・ジェームス(ロサンゼルス・レイカーズ)も感動したほどの、奇跡的な復活を遂げた。現在もニューヨーク・ニックスで活躍している。