2000年にニュージャージー・ネッツ(現ブルックリン・ネッツ)へ入団し、NBAで15年間プレーしたケニョン・マーティンが現役時代を振り返り、「守るのがタフだった選手」、そして「止められなかった選手」を明かしている。
00年のドラフト1位指名でNBA入りしたマーティンは、類まれな身体能力を武器にアスレティック系パワーフォワードとして活躍。ネッツ時代はジェイソン・キッドのロブパスから豪快なアリウープを何度も決めて話題を呼んだが、04年のデンバー・ナゲッツ移籍以降は、粘り強いディフェンスでも存在感を示した。
そんなマーティンは、元NBA選手のギルバート・アリナスがホストを務めるポッドキャスト『No Chill Podcast』に出演した際、「守るのがタフだった選手」を問われ、「2人いる」と回答。真っ先に挙げたのがコビー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)だった。
「俺たちが(2008-09シーズンに)ウエストのカンファレンス決勝で彼と対戦した時、誰かが動画をアップした。ドライブ→ストップ→独特なステップに翻弄され、俺は完全にやられていた。俺が躍起になって止めようとすれば、彼はフェイダウェイで得点を奪う。
別の場面では彼のポンプフェイクが炸裂した。彼との対戦はチェスのゲームのようだった。ほとんどの選手に対しては、俺はAかBの方法で止められていたけど、彼はCやDに行こうとする。時には左手でシュートを打って、『おい、何をしてるんだ』って感じさ(笑)。とても激しい戦いだったけど、楽しかった。彼のオフェンス能力と俺のディフェンス能力、お互いを尊重し合っていた」
マーティンはキャリア2年目の02年にシャキール・オニール(シャック)&コビー擁するレイカーズとNBAファイナルで対戦しているが、当時よりも、コビーが単独エースとなって以降の方が脅威を感じたようだ。
そして、もう1人が"史上最高のパワーフォワード"の呼び声も高いティム・ダンカン(元サンアントニオ・スパーズ)だ。バンクショットなど、基本に忠実なプレーから"ビッグ・ファンダメンタル"の異名を取った男と対峙することで、自分は選手としてステップアップできたとマーティンは回想する。
「スピード勝負で来てくれるなら俺も対抗できるが、彼はどんな時も自分のペースを崩さない。バンクショットは打たれたくなかった。おかげで、俺は良いディフェンダーになったよ。フリースローラインより高い位置で行く手を阻めば、彼が得意のペイント内でボールを持てないからね」
00年のドラフト1位指名でNBA入りしたマーティンは、類まれな身体能力を武器にアスレティック系パワーフォワードとして活躍。ネッツ時代はジェイソン・キッドのロブパスから豪快なアリウープを何度も決めて話題を呼んだが、04年のデンバー・ナゲッツ移籍以降は、粘り強いディフェンスでも存在感を示した。
そんなマーティンは、元NBA選手のギルバート・アリナスがホストを務めるポッドキャスト『No Chill Podcast』に出演した際、「守るのがタフだった選手」を問われ、「2人いる」と回答。真っ先に挙げたのがコビー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)だった。
「俺たちが(2008-09シーズンに)ウエストのカンファレンス決勝で彼と対戦した時、誰かが動画をアップした。ドライブ→ストップ→独特なステップに翻弄され、俺は完全にやられていた。俺が躍起になって止めようとすれば、彼はフェイダウェイで得点を奪う。
別の場面では彼のポンプフェイクが炸裂した。彼との対戦はチェスのゲームのようだった。ほとんどの選手に対しては、俺はAかBの方法で止められていたけど、彼はCやDに行こうとする。時には左手でシュートを打って、『おい、何をしてるんだ』って感じさ(笑)。とても激しい戦いだったけど、楽しかった。彼のオフェンス能力と俺のディフェンス能力、お互いを尊重し合っていた」
マーティンはキャリア2年目の02年にシャキール・オニール(シャック)&コビー擁するレイカーズとNBAファイナルで対戦しているが、当時よりも、コビーが単独エースとなって以降の方が脅威を感じたようだ。
そして、もう1人が"史上最高のパワーフォワード"の呼び声も高いティム・ダンカン(元サンアントニオ・スパーズ)だ。バンクショットなど、基本に忠実なプレーから"ビッグ・ファンダメンタル"の異名を取った男と対峙することで、自分は選手としてステップアップできたとマーティンは回想する。
「スピード勝負で来てくれるなら俺も対抗できるが、彼はどんな時も自分のペースを崩さない。バンクショットは打たれたくなかった。おかげで、俺は良いディフェンダーになったよ。フリースローラインより高い位置で行く手を阻めば、彼が得意のペイント内でボールを持てないからね」