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【NBA背番号外伝】初の欠番は巨人ムトンボ!魔術師J-Willを筆頭に、着用者の約1割がウィリアムズ姓の55番<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.11.17

通算ブロックで歴代2位のムトンボ(右)は55番で初の欠番選手。2人のジェイソン・ウィリアムズ(左)はエース格ではなかったが、チームの主力として活躍した。(C)Getty Images

 カレッジバスケットボールでは背番号に関するルールが様々あり、現在では審判がコールする際の都合を考え、6から9までの数字は着用できないと定められている。そのため、大学では55番が最も大きな背番号となっている。プロではそうした制限こそないものの、これより大きな番号をつけている選手は数えるほどしかいない。

 NBAで背番号55を着用した選手は過去109人いるが、そのうち約1割の8人がウィリアムズ姓。1997年などはジェイソン、エリック、スコット、アーロンと4人も55番のウィリアムズがいた。ただし2015年にサンアントニオ・スパーズに在籍したレジーを最後に、55番をつける選手はいなくなっている。

 8人のウィリアムズのなかで最も際立った活躍を見せたのは、スペルこそ異なるが名前はともにジェイソンの2人。綴りがJaysonのほうのウィリアムズは90年代に活躍した黒人ビッグマンで、フィラデルフィア・セブンティシクサーズで2年間、ニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツで7年間ずっと55番を着用。

 屈強な体格でリバウンドを奪いまくり、98年の13.6本はデニス・ロッドマンに次いでリーグ2位だった。だがチームメイトとの接触で足を負傷し、31歳の若さで引退。その後2002年に運転手を過って射殺し、刑務所生活も経験しているが、被害者の年齢は偶然にも55歳だった。
 
 もう1人のジェイソン(Jason)・ウィリアムズは、Jaysonとは正反対の小柄な白人PGで、ストリートの黒人選手のようなプレースタイルから、ついたニックネームが"ホワイト・チョコレート"。98年にサクラメント・キングスに入団すると、魔術師のようなボールハンドリングと強気なプレーで人気が沸騰。55番のジャージーが飛ぶように売れ、オール・ルーキー1stチームに選出されている。

 55番を選んだのは、マーシャル大に入学した際、ほかのガード2人が50番台の背番号だったのに合わせたのが理由だという。"J-Will"の愛称でも親しまれた男は、メンフィス・グリズリーズに移籍後は背番号2に変更したが、トレードでマイアミ・ヒートに移った05-06シーズンには再び55番に戻し、自身初のチャンピオンリングを手にしている。

 55番で最初のスター選手はキキ・ヴァンダウェイ。得点能力の高いフォワードで、80年代にデンバー・ナゲッツで活躍し、83年には平均26.7点でリーグ2位、翌84年は自己最多の29.4点で3位と得点を量産。2年連続でオールスターに選出された。

 ポートランド・トレイルブレイザーズに移った85年以降も安定して20点以上を稼ぎ、晩年のニューヨーク・ニックス、ロサンゼルス・クリッパーズ時代も55番をつけ続けたが、いずれの球団にも5年以上在籍しなかったため、欠番とはなっていない。
 
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ムトンボはカレッジで15番を希望していたが…